壺井栄『二十四の瞳』
24歳は24なものを読もうということで誕生日に丸善で買った。
が、10月に手にしてから1月まで読めずにいたのはなにも忙しかったからではない。戦争への怒りや悲しみを訴えるとする、表紙の謳い文句が重たく感じられ、億劫になった。
できることなら戦争のことは耳にしたくない。どうせつらかったのでしょう、と思う。耳を塞いでしまう。朝ドラが戦争描写をすれば苦々しく画面を見やり、ニュースやワイドショーが微に入り細を穿って報じれば苛立たしく電源を断つ。ため息まじりに発する「戦争はよくない」は便利な終止符だ。感情がおだやかになるかわりに、思考も想像力もその場で完全に足踏みしてしまう。言うべき結論がそこに厳然と待ち構えている議論は怖い。イルミネーションはきれいで、青春は素晴らしく、海外の治安はどこも悪く、未来は暗く、本屋はオワコンで、浪人はつらく、孤独は脱却すべきで、飲み会は楽しく、共感は大切、歓喜の歌は最高で、戦争はよくない。そうなのかもしれない。しかし、そうやって一言に括ることで溢しているなにかがあるような気がする。完璧な結論のもつ火力では煮え切らない残滓があるから、忘れたようでずっと考えているし、考えたひとの足跡を辿ってしまう。戦争ひとつとってもどれだけの蔵書がわが家にあるだろう。どれだけの映画やドキュメンタリーを観ただろう。「怒り」「悲しみ」とひとくちに言っても、それを訴える肉体と思想と生活によって、またおのおのが二つずつ持つ「瞳」によって、まったく響きが違うのに、いつも驚かされる。わかりやすい情報にも崇高な結論にも還元しきれない、まだ聞けていない言葉に触れたくて、けっきょく、苦々しい顔で本を開く。
知り合いのおじいさんは、戦争未亡人の母に育てられた五きょうだいの末っ子だと言っていた。芸術の調査の大義を掲げて彼と話していた私はそれをさほど重視しないどころか、漂白ないし無痛化して「大変な境遇にあったひと」と、さもなんでもないことかのように冷淡に聞いた。なんでもないこと? あのとき止めた想像がぎしぎし音を立てて動き出すのを、『二十四の瞳』を読みながら感じた。また、数年前に他界した私の曽祖父は戦時、二十代だった。戦争のことを聞かなくてはねと母と悠長に話しているうちに亡くなった彼は、生前「自分の道は自分で切り拓かにゃいかん」と述べていた。戦線へ徴発され落命していてもおかしくなかった運命とどのように対峙し、切り拓いていたのだろう。肉体という、曽祖父の一世紀にも及ぶ歴史に触れる手がかりが永久に失われたことがたまらなく惜しい。聞けば漂白、聞かなければ後悔、なんと不誠実なことか。『二十四の瞳』作中ひとりひとりの人生に目を凝らしていたはずが、いつの間にか知り合いや曽祖父のことへ軽々と想いが移ってしまっているのも、じれったい。たくさんの瞳が私と視線を交わしてはさっさと去っていく。ちいさな自分の手に余り溢れていくものをむざむざ見送ることの遣る瀬なさ……
遣る瀬なさ、と書いて思い出すのは宇多田ヒカルの「桜流し」。
「怖くたって目を逸らさない」ことが私が取り組める唯一のこと。
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I.M.O.の蔵書から書物を1冊、ご紹介。 📚 かくれた次元/エドワード・ホール(日高敏隆・佐藤信行訳)