『九つの、物語』に寄せて(またの名を、「私が料理をする理由」、もしくは「2021/10/30 お昼ごはん(自炊)」)
お昼ごはんはトマトスパゲティだった。
高校生のころからの憧れのレシピ、禎文式トマトスパゲティ。
橋本紡の小説、『九つの、物語』に出てくるレシピである。
トマト缶を使った簡単なパスタなのだけれど、ポイントはスパイスをたっぷり使うこと。
カルダモンとローズマリー、バジル、タイム、オレガノ、クローブ……小説の中にはたくさんのスパイスが登場し、それを気ままに入れていく。
最初に読んだころから作ってみたくてたまらなかったのだけれど、私の実家はスパイスなんてお洒落なものを使う習慣はなく、気ままに入れるどころか一つもそろわなかったので、ずっと諦めたままになっていた。
一人暮らしを始めてからも、スパイスなんて買っても余らせるよな……と思っていた。
しかし一度思い切ってオレガノを買ったところ、日々のトマト料理のお味が格段にアップ。
これはいける、他のを買っても使い切れる。
そんなわけでバジルとナツメグも購入し、原作には程遠いが、スパイスたっぷりのトマトスパゲティが作れるようになったのだった。
作り方は……ぜひ小説を読んでみてください。
ちなみに文庫版は末尾にレシピ付き。
『九つの、物語』に寄せて
好きな小説家は誰ですか? と聞かれたら、
迷わず橋本紡の名を挙げる。
初めて出会った中学生のころから、2013年の引退宣言を経て、今もなお、私の一番好きな日本人作家だ。
世間的には『半分の月がのぼる空』の作者としての知名度が高いんじゃないだろうか。
代表先は他に『流れ星が消えないうちに』『月光スイッチ』『ひかりをすくう』『空色ヒッチハイカー』『葉桜』など。
扱うテーマは、大切な人の死、抜け出せない不倫関係、パニック障害……などなどなかなか重たい。
なのに重さではなく、優しさ柔らかさ穏やかさが作品全体を感じさせるのは、それらの重たいテーマを、悲劇としてではなく日常として描いているからなのかなと思う。
重たい荷物を背負った人にも、毎日は続き、決して重苦しいばかりじゃなくて、くすっと笑うような瞬間も、心を許せる人との幸せな時間もある。そんな様子を通して人生を描く作風が、たまらなく好きだ。
彼の描く日常は、多くの場合、食事シーンに支えられている。
『今日のごちそう』という、料理をテーマにした短編集があるくらいだ、ご本人も料理がお好きなのだろう。
どんなことがあっても人は生きていくし、
生きていく以上はごはんを食べる。
食卓は人と人の繋がりを生み、日常を作っていく。
そんな様子が、最も色濃く出た作品の一つが『九つの、物語』だ。
物語は、実家に一人で暮らす大学生、ゆきなのもとに、しばらく前にいなくなった兄、禎文が帰って来るところから始まる。
軽くて、ちゃらちゃらしてて、女好きで。でも誰よりも妹思いで、料理が上手くて、本が好きで。
そんな兄との久々のふたり暮らしに、ゆきなは戸惑いつつも、少しずつ慣れていく。
「ゆきな、腹減らないか」
「あ、減ったかも」
作中、何度も何度もそんな会話が繰り返される。
その度に、禎文はゆきなのために料理を作り、二人が食卓を囲む様子が描かれる。
そして、ゆきなが一番好きな料理が、兄の作るトマトスパゲッティなのだった。
自分でごはんを作り、食べることは、つまり生きることだ。
誰かのためにごはんを作り、食べさせることは、つまりその人の命を支えることだ。
当たり前のように親の作るごはんを食べる日々の中で、一切意識しなくなっていたそんな当たり前のことを、高校生の私は、この作品を通して初めて知った。
以降、一人暮らしを始めてからも、私の料理や食事に対する価値の置き方は、全てここに根差している。
だから私は毎日自分のためにごはんを作るし、どんなに悲しいことがあっても、嫌なことがあっても、忙しくて帰りが遅くなっても、ちゃんと作って食べる。
自分のためにごはんを作って食べること、そしてそんな料理を楽しむことは、私は笑って生きていくぞという意思表明でもあると思うのだ。
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このnoteを公開するにあたり、改めてこの記事を読み、橋本紡が好きだなあと思った。引退なさったのが常々残念でならない。いつかまた、どこかで出会えますように。