聞くことすらできなかった私
いもあんです。いつもありがとうございます。
今回は20数年前の
息子の出産の時を振り返りました。
長男の出産は実家の近くで
知り合いの看護師さんのいる産婦人科でした。
評判の良いところで
出産は妊婦のバイオリズムに
合わせてくれました。
息子の誕生日の前々日
実家で家族の晩御飯を作っている時に
少し破水したので
まだ陣痛もひどくないうちに入院しました。
陣痛はゆっくりとした感覚で
次第に強くなっていきました。
ひっひっふー
一人で呼吸をあわせながら
丸一日は待機室のようなところにいて
後から来た妊婦さんが出産するのを
見送っていました。
夜になって家族が見舞いに来てくれましたが
まだ時間がかかりそうだ
ということでいったん帰ってもらいました。
正直、一人で寂しかったし
誰かいてほしかったのだけれど
しっかりもののお姉ちゃんが出てしまいました。
夜中になっても息子は出てこず
ひっひっふー
陣痛の合間におなかの息子と二人で
お話をしながら過ごしていました。
実際は独り言かもしれませんが…
夜中の12前に看護師さんが
もうひと踏ん張り
12時過ぎたら産まれるのではないか
と言ってくれました。
陣痛の合間に自分で実家に連絡をし
夜中にごめんね。12時過ぎたら産まれると思う
と母に伝えました。
えっ、自分で架けたの!
と看護師さんにはびっくりされました。
分娩台でも呼吸でいきみを逃しながら
ちょっと笑顔で看護師さんと話す私に
ここで笑っている人は初めて見たと言われました。
でも、あの時は不思議と落ち着いて
自然と彼の出産を受け入れることが
できたように思います。
12時を過ぎて
まるで待っていたかのように
するんと産まれてきました。
ドラマでみるような
苦しむシーンを想像していたのですが
まったく違ったものでした。
産まれてきてくれた喜びとともに
もう二人ではなくなるんだ
別の人になるんだという
さみしさ?
とうとう産まれてしまうのね
みたいな気持ちでした。
産まれるとすぐ
おなかの上にちょこんと乗せてくれました。
なんとも愛おしい
その後は子どもは子どもの部屋へ
私は大部屋へ戻っていきました。
ガラス張りの赤ちゃんの部屋で
わんわん泣いている息子を見ていると
一緒の部屋でずっと過ごしたいなと思いました。
母乳の出が悪かったので
授乳時間だけでは
ミルクが足りなかったのだと思います。
母子同室にもできたのですが
私はお金の心配をしてしまいました。
なんせ専業主婦で
妊娠と同時に夫が無職になりましたから…
でも、聞いてみることはできたのです。
母子同室にしたら、料金は変わりますか?と。
私はそれができませんでした。
どうしてでしょうね。
いつも、聞けばいいのに聞けなかったんです。
その後の20年、子どもたちのおかげで
今では、尋ねることに
そこまでの抵抗は感じなくなりました。
後悔はたくさんありますが
今、ちゃんと進んでいる自分を
認めてあげたいと思います。
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