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推しはいないけど、私のそばには猫村さんがいるから大丈夫
友人が某アイドルのことをめちゃめちゃ推しています。推しが同じ友人同士、集って泊まりがけでライブに出かけることもあります。推しがいるから仕事も頑張れるらしいです。なんだか毎日楽しそうです。
う、羨ましい‥‥。推しがいる暮らしが羨ましい。
でも、残念ながら私には推しがいません。友人が推している「〇〇くん」を何度か見せてもらって、かっこいいねとは思っても顔が覚えられません。私、友人の顔を覚えることはできても、芸能人の顔を覚えることがかなり苦手です。
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そもそも私が考えている「推し」の定義って。
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推し=単なる好きではなく応援で見返りを求めない「好き」であって、
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「好き」の状態が継続していて、
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課金をいとわない。
付け加えるなら、限りなく「固有名詞」のことを好いている。
推し=見返りを求めずに応援&課金をしていて、「好き」状態が継続している固有名詞。
ああ、これが「推し」というものかっ!とまとめてしまうとスッキリするのが私なのですが、一方で何かをとても「推している」自分もあまり想像がつきません。
あえて推せそうなものを捻り出してみると、「文房具」と「ネコ」あたりですが、これは固有名詞ではなくって。
まぁ好きなネコもいるんですけどね。猫村さんとか。
毎朝天気予報のチェックの後に猫村さんを読むのが日課です。ああ猫村さん、なんて呟いていると家族からの贈り物が次第に「猫村さん」になっていきます。
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裏紙にはもれなく猫村さんが描かれています。
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「よっしゃ、今日もがんばる!」という母の言葉に
「猫村さんもがんばってるもんね……」と遠い目をしてわかったようなことを返してくる小学生の息子。
夫からの誕生日プレゼントが猫村さん大人買いで
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ここで初めて浮上する「猫村さん≒推し?」という式。
いや、でも私自身は猫村さんに課金してないし(夫は課金したことになりますが)。毎朝のルーティーンとして猫村さんのサイトを訪問するだけだし。
他に好きなネコもいるし。ノラネコぐんだんとか。
ネコ全般の存在が好きで、その枝葉のキャラクターとして気になるのが私の「好き」のあり方なんです。文房具もそんな感じです。主に好きなのは水性ペンからインク分野ですが、特定のペンとかインクとかメーカーとかではなくそこに渦巻く世界観が好き。
そこでこんなことを思いました。
いわゆる「推し」の「好き」は、お料理の献立でいうところのメインディッシュがドーンと出てくるスタイルに近いけれど、私の「好き」は小鉢を沢山並べるスタイル。
今日のご飯は?と聞かれて「ハンバーグ!」と答えるのはわかりやすいけれど、「小鉢いろいろ」はインパクトがなくて伝わりづらいわけです。「ひじきの煮物・きんぴらごぼう・湯豆腐・お味噌汁」はどれも好きなメニューだけどなんだか地味。和食/洋食/中華どれが好き?と聞かれたら「和食」と答えるけれど、和食を推しているわけでもありません。
もう一度この絵に戻ると
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推し活してるヒトから放たれるこのキラキラービームが羨ましい(というか好きな)わけですが、「和食」というカテゴリーそのものや小鉢単体からはこのキラキラは出ないんですよね。
……と、推し活に勤しむ友人を眺めながら、こういうどうでもいい思考を巡らせることが楽しくて仕方ありません。どうでもいいことをチマチマ絵に書いている時間を推していて(どちらかというと時間を「惜し」んでやっているわけで)、毎朝猫村さんを読みにいくことをやめられません。
猫村さんはきっと「好きにはいろいろあっていいですよ」と励ましてくれる気がします。