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きのこ鉛筆を買って、私がハンドメイドを挫折した理由と今後のことを考えてみました

 ふと出会って一目惚れしてきのこ鉛筆なるものを購入しました。粘土で作られたきのこオブジェがついた鉛筆、ハンドメイド作品です。
 自宅のデスクの視界の端に入るように置きました。鉛筆派なのでちょっとしたメモ書きなどはこれを使うことにします。

竹をよく切りに行く友人からもらった竹筒とともに。

 これは地域できのこに特化したハンドメイド作品を作っている方の作品。きのこが好きで、置物のきのこやらきのこのデザインペーパーやらシールやらをあの手この手で作られているとのこと。雑貨メイン。アクセサリーも作らなくはないけれど、ご本人があまり身につけないのでそんなに展開されていないそう。

 私自身がきのこ好きかと言われると普通程度。でもかわいいものはかわいいし、ちょうど行きあえた作者の方の情熱(きのこへの熱い思い)にも惹かれました。

ハンドメイド作品としてのきのこ鉛筆から考えてしまったこと、入り口はこの2点です。

  • テーマが絞られていてわかりやすい(広すぎずマニアックすぎない)。

  • 好きのパワーはすごい(テーマが伝わりやすいから購買意欲に繋がるし応援したい、作品を見ても嫌味がない)。

この2つを掛け合わせるとやっぱりすごい説得力。こういうのを掛け合わせてプロジェクトなり作品なりビジネスなりを展開できれば面白そうです。けれどこの2つって結構難しい。自分の挫折経験を振り返りながら、わかっているようで見逃していた、ハンドメイドのこと・仕事の軸のようなものを考えるnoteです。


ハンドメイドを挫折した話


 ハンドメイド作品を作って売っていた時期があります。けれど苦しくなってやめました。私には「きのこ」のような存在がなかったからです。

 趣味とわりきって作る分には楽しいですが、過剰に作ってしまう場合、思うように売れなければ楽しくなくなります。売れるものづくりを!と舵を切り市場調査をして……それでも作るのが好きかどうかが第一関門。その後続けられるかどうかというところで挫折しました。

 「ハンドメイドが好きで…」というのは「ハンドメイドをやっています」の時点で自明なので説明不要。ハンドメイド好きの方はごまんといて、ある程度続けていればそれなりのレベルにはなります。ただし販売できるレベルになったとしても工場製品のような綺麗さ・緻密さとはまた別の話。そして100均でも新商品がどんどん出てそれを組み合わせるだけでもそこそこのものが作れてしまう現実。そういうのを差し引いてもすごくいい!身銭を切ってでも買いたい!と思える何かがないと買ってはもらえません。作者に愛着があるとか、作品に独自のわかりやすいストーリーがあるとか、有無を言わせず「素敵」とか。この「何か」が非常に曲者です。世の中はすでに素敵なもので溢れています。

 かわいい、素敵、オシャレ!という感覚は水物でどんどん変わっていくし人によって尺度が違います。けれどこのよくわからない感覚を軸にして作りがち。これが私の失敗の原因でした。私が思う「かわいい」。私が思う「オシャレ」。こういうのが通用するのはすでに名の知れたブランドが提唱するからで、お墨付きがない素人が言う場合にはよっぽど秀でた可愛さ・珍しさを持ち合わせていなければ非常に難しいことでした。「絵本の中に出てくるような世界」とか「大人のナチュラル派」とか、オシャレに名前をつける程度ではなかなか難しくてもっと初見でのわかりやすさが必要な気がします。
 そのあたりの難しさを価格面や販売範囲を限定することでカバーすることができる方もいます。趣味だから原材料費を賄えればOKとする価格設定、なじみのカフェのみで委託販売をするなど。「かわいい」を生み出すセンスとコスト感のバランスが絶妙な天才もいます。あとはどうやってファンを囲い込むか、稼ぐことの物理的なノウハウで稼ぐ手法もありそうです。

人様からお金を頂くことと自分の好きを求めるバランスに、私は折り合いをつけることが出来ませんでした。そして技術の面でも「それ以上」を生み出せるほど上達させることができませんでした。


「好き」との距離の取り方


 私が新卒採用の就活をしていた頃「好きを仕事に」と言うフレーズがよく言われていました。ついついやってしまう「好き」の力は確かにすごいです。好きだからこそ続けられるものがあります。それを仕事にできたらどんなに幸せでしょう。

……現実はそうではありません。と言って話を切り上げてしまうのは10年ほど前の私。

 今は少し大人になってもう少し多角的に捉えられるようになってきました。1点にフルベットしないやり方もあるよね、「好き仕事の1つに」程度は目指してもいいんじゃないかな……程度に捉えられるようになりました。

 好きじゃないことは続きません。これはもうずっと体験し続けてきたこと。そのジャンルを心底愛して活動している人には敵いません。一方で「好き」すぎると距離感を見失ってひとりよがりになりすぎること、失敗した時のダメージの深さが計り知れないことも同時に学んできました。

 ハンドメイド販売で挫折したけれど、別にハンドメイドが嫌いになったのではありません。作るの好きだよ〜!伝われ〜理解して〜!という自己顕示欲の手段として販売するのは違うということを理解しただけの話。そして自分が納得していない(けれど売れそうな)ものを量産できるほど、ハンドメイドが好きなわけではないことにも気づきました。誰かに求められたら作って場合によっては販売するのはアリだし、自分のために何か作ることはやめなくてもいい。そう考えると少しラクになりました。好きと社会性が重なる部分をうまいこと見つけて付き合っていく。それは仕事で叶えられる部分もあるし、仕事で叶えられなくても暮らしの中で報われる瞬間があるかもしれません。

きのこの良さをわかってくれる人には、全力できのこの良さを伝えたい、それをきっちり再現する作品をつくるので対価として真っ当な金額をいただきます……

 そんな取引ができるようになったら再びチャレンジするのもありだなぁということをきのこ鉛筆を手にしながら思いました。ハンドメイドに限らずそういう仕事がしたいものです。そう、今はもう「ハンドメイド」などジャンルをあまり気にせず仕事がしたいです。


わたしにとっての「きのこ」ってなんだろう

 好きのジャンルが明確でめっぽう深い人もいれば、広く浅い人もいます。私はおそらく後者。好きなものを「きのこ」のように明確に言えればいいのですが、きのこも好きだしきのこが生えている森も好き、なんなら森にやってきそうな動物モチーフも好き……そんな移り気なタイプです。

 好きを「レジン」とか「刺繍」とかハンドメイドの技法など作る側しか気にしないジャンルに設定するのではなくて、別軸に設定したものを掛け合わせるというか。「かわいい」「都会的」「クール」という曖昧な形容詞ではなくて、できれば名詞でとらえるというか。その名詞もできれば万人受けをねらうよりも、ある特定の人だけを狭く限定して射抜くようなパワーと奥行きがあるものが望ましいものです。奥行きがあれば裾野が広がる可能性がありますし。そして「好き」は偽造してもいずれバレるので、無理矢理に設定してしまうのではなく。難しいですね……。

 私の「こんな仕事がしたい」をもう1度復唱します。

きのこの良さをわかってくれる人には、全力できのこの良さを伝えたい、それをきっちり再現する作品をつくるので対価として真っ当な金額をいただきます……

 あ、「好き」にこだわらなくても自分の揺るぎない決心・信念・考えのようなものが、ひとりよがりなものではなくシンプルに真っ直ぐ伝わる(伝えられる)何かならいいのかもしれませんね。できれば端的な言葉で言い表すことのできる何か。

 最近の私のnoteにありがちな、無駄に長くなりずばっと結論が出ない文章になりましたが、ただいま「きのこ」にかわる何かを絶賛模索中でジタバタしているというわけです。きのこ鉛筆を手にして思わず考えてしまいました。

 お読みいただきありがとうございました。本当は1200字くらいにまとめたかったのですがこれで約3600字ですって……。端的にわかりやすく伝えるって文章でもとっても難しいことだけはわかりました。いわんやビジネスをやというわけです。

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このnoteはアラフォー農業専従者・2児の子育て中の私、imoえんぴつが農業以外で自分の看板を立てようとして始めました。イラスト・文・グラレコなどを駆使して見える化≒デザインを広く練習中です。文具好きのアナログ人間。子育て・日々の気づき・文具・キャリアチャレンジ・デザインの勉強・イラスト・はたまたnoteそのものについて……などをテーマにnoteを楽しんでいます。

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