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「頑張り屋さん」の末路

人は、自分の能力を超えたことはできない。そして、誰にでも「できること」と「できないこと」がある。

そんなのわかってるのに、なぜ私は「完璧」で居ようとするのだろう。

つい最近まで一緒に仕事をしていたうつ病をもつ先輩に、新年早々言われた言葉。

「精神的なことは本当に気を付けてください。無理なことは無理!そのスタンスで」

それができたら、どんなに楽だろうか。

私がカウンセラーに心をひらけない理由。それは「あなたは優秀だから」「話を聞いていれば優秀なのがわかる」と言われたから。

「優秀だと思われている」と思うと、「優秀でいなければならない」と思ってしまって、尚更自分の弱いところを見せられない。自分は優秀じゃない、本当はこんなことができなくて苦しいと打ち明けられない。

いくら薬を飲もうが、病院に通おうが、人からの期待を裏切るかもしれないという恐怖は私自身に憑いてまわる。

だから私は人一倍挫折に弱いし、プライドも高い。常に自分が「さすが」だと思われていないと気が済まない。

その"おかげ"で私は今まで「頑張り屋さん」だと褒められてきた。

でも努力は必ず報われるわけじゃない。どんなに努力したって届かない目標はある。どんなに頑張っても叶わない夢がある。

だって、上には上がいるし、所詮人間には能力に限界がある。

頭では理解しているのに、それが受け入れられない。人の目が気になるから、馬鹿にされる屈辱に耐えられない。失望される恐怖に向き合えない。

「頑張り屋さん」は、私にとっては決して褒め言葉じゃない。頑張ってる人はかっこいいかもしれないけど、その頑張りがその人の首を絞めていることもある。

「こんなことできなくて当たり前」「無理だと思ったらいつでも無理だと言って良い」私は来年から入社してくる後輩にそう思わせてあげられるような環境を作れるだろうか。

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