ふとした時に死んでしまいそうな自分が怖い
過去の自分を振り返るために作ったNoteを更新できずにもう2ヶ月。色んなことがあった。
仕事はうまくいかなかったり、うまくいったりの繰り返し。それでも少し昇進して、給料もボーナスも上がったのはなんやかんや頑張ったからだろう。
「躁鬱ぽいね」病院で美人な精神科医に言われた一言。どうやら人は「死にたい」と思うのは異常らしい。
その時付き合っていた彼氏に報告すると、知らない女と浮気され、しまいには「俺といても幸せじゃないんでしょ」と、一言。
死んでやると喚き散らして泣き叫んだおかげで仕事は1時間遅刻。ボコボコの顔と猛烈な頭痛のせいで、何も捗らなかったのをいまだに覚えている。
挙句の果てに「最初から興味なかった」と言い放たれた。自分に興味がない人と1年間も一緒にいたのかと思うと、虚無感しか残らなかった。
また、失敗した。
酷い恋愛は慣れっこなはずなのに、まだ慣れない。人を信じて捨てられるのが、裏切られるのが、失望されるのが怖い。その癖、完璧に振る舞えない自分がやっぱり嫌い。
病院から処方された安定剤、睡眠薬たち。見るたびに「これを1日1錠じゃなくて、全部飲み干したら楽になれる」と思ってしまう自分が怖い。
会社の行き帰り、電車のホームに突っ立って「今飛び降りたら、どれだけの人が悲しんでくれるだろう」と思ってしまう自分が怖い。
何度か本気で死のうって決意して、行動する直前まで追い詰められたことがある。
その時の心理は、ただ口先で「死にたい」と言っている時とは違って心の中が異様にスッキリしていて、頭の中も不思議なほど冷静。
冷静なのに「あ、死んじゃえばいいんだ」と思いながら死ぬ準備をしたあの瞬間の恐怖を私は忘れられない。
人に諦められた時、死んじゃおうと思ってしまう自分が1番恐ろしい。「死ぬ」という言葉を、本気なのに脅し文句のように吐いてしまう自分が情けない。
もう死のうとしない、生きていく、死にたいと思っても死にたいと言わない。そう約束しても、心のどこかで消えたいと思ってしまう。
「死にたいけど死にたくない」この複雑な気持ちは、誰にも理解されないのかな。
どんなに楽しい瞬間を過ごしても、一度一人になってしまうと思考の深みにハマって抜け出せなくなる。
そして、自分の環境がいつでも「死」という選択肢を選べる状況だということを理解しているから、いつかその選択をとってしまう気がする。
大好きな人と、大切な人と一緒に居られないなら、
頑張って生きていく意味がない。
ずっと人のために生きてきた私は、もう自分の為には生きられない。
自分の人生って何なんだろう。もっと楽しく生きたかった。
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