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関係は、終わり際に表れる
その人との関係は、別れ文句に出てくる。
そんなことを、友人に言われた記憶がある。くきっと、折れたとげのように、肩口あたりに刺さったままでいまだにチクリと存在している。いまだに、「気になる異物」を引きずっているようだ。
むかし、渋谷駅で、別れ際の男女、とくに女の子のほうが何度も何度も振り返って彼の方を見ていて、こんな詩を書きたくなったことがある。
振り返り
振り振り返り
赤い帽子の間から漏れる
黒い髪をなびかせながら
その仕草に
愛しさが表れている
恋人たちの別れ際
道の向こうに去りゆく
彼を振り返る
黒いタイツがよく似合うその女性の姿に
周りの通行人も
なんとなく
見知らぬ彼が帰るのを
惜しむ心地になっていた
彼らの別れ際しか、私は見ていない。しかし、その恋人たちの関係を推し量るには十分であった。別れを惜しむに足る、関係の交換が行われていたのだろう。
そうだった。物事は終わり際に「際立つ」のだった。
そんなことを思い出したきっかけは、生徒たちの「終わらせ方」が気になったからであった。今日は、生徒たちの発表の回だった。一年かけて仕上げたマップを、プレゼンする。マップの出来映えは、素晴らしかったと思う。カラフルに、分かりやすく、よくまとまっていた。
しかし、全員見終わって気になったのは、どの生徒も「終わり方」が、そそくさとしていて、きっちりと終われていないことだった。「これで発表を終わります」を言って、一礼して席に戻るまでが、そそくさと、慌てて、一刻もはやくその場から立ち去るように行われていた。担任の先生も指摘されていたが、大半の生徒は、発表をバッサリと切るように、「これで発表を終わります」すら言わず、原稿の最後の言葉を発するとささっと席に帰っていった。
終わりにこそ、その関係性が現れる。
生徒たちにとって、プレゼンはしたくないもの、発表場所は立ちたくない場所になっていたのだろう。
力不足を、感じている。
◇◇◇
翻って、自分も、終わり際におろそかにしてしまうことが多い。
恥ずかしいからだ。照れ臭さが、私の目線を相手から即座に切らせ、背を勢いよく見せるように反転させ、脇目も降らずに別れ道をいかせる。だから、生徒たちの気持ちも痛いほどわかる。
そのときを思い返してみると、「ああ、感じ尽くしてなかったなぁ」と、深い深いため息が出る。
いつからか、親しい間柄の人たちとは、握手をして、ハグをして、別れるようになった。また、去っていく人を見送るときは、なるべくその姿が見えなくなるまで、見送るように気を付けるようになった。
これで、今生の別れになっても、「あのときの別れ際の感触」は、ちゃんと感じ尽くしておこう、と心に決めているからだ。人間、いつ死ぬかはわからない。
ベッタリとした、離れないような名残惜しさは、生まなくてもいいと思っている。惜しみつつも、スッと離れられるのが、理想だ。
だが、別れ際に「この最後の瞬間」を感じつくそう、という気持ちを体現できるような生き方で在りたいと、今日は、また思い出した。
以下オマケ
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