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ぼんやり初心者 1
都会の喧騒から離れたくて、少し前からひとりで長野県の松本に来ていた。
最終日のきょうは昼過ぎのバスの出発までゆったりすることに。川沿いで本を読む。朝、古本屋で買った本。タイトルは、「ぼんやりの時間」。
さっそく、「ぼんやり」する。川の流れの動きを見たり、水中の小石の柄の違うのを眺めたりする。ところが、「ぼんやり」は長くは続かない。あのメールを返信しなきゃ、とか、明日の予定は、とか、また、後の時間のことで思考が埋められていく。
また、「ぼんやり」に戻る。靴下を脱いで、足を川の中につっこんでみる。冷たい。心地いい冷たさ。足首のところに川の流れを感じる。ずっとそんなふうにしていると、川の流れの速さは時々変わったり、流れる水の温度も変わったりしていることに気がつく。川も変化しつづけているんだ。ただ、流れているだけでなくて、小さな変化がつねに起き続けている。ただ、それは誰もが見えるかたちではない。すぐ、わかるものではない。川も生きている、と思う。
「ぼんやり」がちょっとだけうまくいったような気がした。
バスに乗る前にジェラート屋で「味噌バタースコッチ」のジェラートを食べる。旅の締めとしてゆったり楽しんでいたら、高速バスの出発の時間が近づいていて、熱風の中を走る羽目になった。ジェラートでクールダウンされた身体が一瞬で元どおりになる。早速、「ぼんやり」の洗礼を受けている。「ぼんやりする」はむずかしい。
バスターミナルを降りて、新宿駅のホームに立つ。人の数の多さにも驚くが、聞こえてくる音の多さに困惑する。電車の車内でスマホをいじる人たちの前で、「ぼんやりの時間」を読む私。皮肉のつもりでやってみたりしたけど、多分、そんなのに注意を向ける人もきっといないだろう。
たった数日、離れていただけなのに。家の近くの住宅街までくると、いつもは聞こえていなかった虫たちの鳴き声に気づかされる。それも、一種類や二種類とかじゃなかった。そこで、ブー、とスマホのバイブ音。新着情報。向こうからこっちから歩く人。曲がってくる車。
「ぼんやり」を現代人がするのは、なかなか難しい。でも、「ぼんやり」できる人は、していない人の見えない、豊かな部分に触れられる気がする。私は、「ぼんやり」の世界に、惹かれている。それが簡単ではないことを知りながら。とてつもなく惹かれている。