「お手伝い」は大切
今までは「消費」つまり「支出」について語ってきましたが、ここからは「収入」について話を致します。
第一部、私のお金ヒストリーの中で出てこなかった単語があります。それは「お手伝い」です。
小中高の間で、お手伝いという形で何かしら家族の中での役割を担うのですが、これがありませんでした。お手伝いよりも勉強優先と言われ続けていたためです。
私の学齢期は受験戦争という言葉が生きていました。第二次ベビーブームで子どもの数が多かったので、高校受験、大学受験が大変だと言われていた頃です。
特に大学受験は定員を急に増やすことが出来ない中、受験者数が常に入学定員を上回る状況が続き。加えて浪人生も受験するので、累積されて毎年受験者数が増えていく状況でした。
ご多分に漏れず、私の親も教育に対する熱は高く、中学生・高校生の間は「お手伝いする」よりも「勉強しなさい」と口酸っぱく言われました。
その為、労働に対する考え方が育たず、働くことって何だろう?という問いに悩みました。思春期でしたので親との会話も減っていた為、もし、この時点で親から話を聴くことが出来ていればまだ違ったかも知れません。
今となっては時既に遅しですが…。
現在は産業構造が高度化して、親の仕事を手伝うことが難しく「お手伝い」という生産者側の立場に立つことが難しくなりました。
本来は“生(なま)の体験”が必要なところですが、今では“金銭教育”という形でワークショップの形で経験するなど、学校外の学びとして補完するのが現実的ではないかと思っています。
特にキッザニアが出来た時は「すげ~」と感激しました、ホントに。
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