ドミノ
ふわふわしたエッセイ的なものです。
読書会のまとめ記事とかです。
思考のただ乗りをしまくった記録です。
「一日最低3ページを目安に広辞苑を読んで、語彙力を爆発させよう」 というプロジェクトです。意味とか目的を考えてはいけない。言葉を愛するのです。
少し遠くに行ってみよう。人生が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。あるいは変わったとしても、気づかないかもしれない。だから、何かを残しておこうと思う。 (※出稼ぎ日記です)
ぁーい。
例えば、久々に話す友人と通話する場面を思い浮かべてほしい。十中八九、いや99%ぐらいの確率で、最初にするのは、こんな会話だろう。 「久しぶりー! 最近どう?」 もしあなたがそう尋ねられた場合、例えば「この間のライブ行ったんだけど、ほんと最高で!」「いや聞いてよ、最近めっちゃダルいことあってさ」のような返事をするかもしれない。あるいは「まあ、ぼちぼちかな〜。そっちは?」という風に会話を繋いでいくだろう。 しかしこの「最近どう?」というやつが、自分にとってはかなり厄介な質問
昨晩は仕事を速攻で切り上げて、「銀河鉄道の夜」を読む読書会へと行ってきた。 読書会のために表題作を読み返していたのだが、やはりいい話。電車の中じゃなければ多分泣いてたと思う。賢治作品の中では異色らしく、テーマがテーマだけに重くなってしまうところもあるのだけれど、自分はこの寂しくも美しい感じがとても好きだ。(ちなみに、主催者の方は「月夜のけだもの」が好きとのこと) 読書会では参加者自身の人生を振り返るような真面目な話もたくさん出てきたし、「なぜジョバンニの母親は夫が監獄にい
自分はここにいるべきではない。 生きているべきではない。 そういう「べき」からは脱出できたものだと思っていたけれど、最近またそうした思考が頭をよぎるようになった。口に出しては言わないけれど、行動や態度の節々に、そういった気持ちが表出しているような気もする。 たぶん、「死にたい」よりはちょっとマシ、ぐらいの感じだと思う。「生きているべきじゃない」は文面的に「死にたい」とほぼ同じように見えて、「死」と言ってないだけまだ健全なところに留まっている。いやどっちにしろ健全ではないが
おそらくだけど、自分の書く文章は読みにくい。理路整然としてなくて、話があっちこっち飛び回って、結局言いたいこともよく分からない。「文章の書き方」的なセオリーをことごとく無視した悪文である。 何度か直そうとしたことがある。文章術の本をいくつかざっと読んで、下書きの骨格みたいなものを作ろうとした。そこで挫折した。たぶん、自分が理路整然とした文章を書くには相当な努力をしなければならない。それが無理だった。 文章は、そのまま思考の流れを表している。注意があっちこっち逸れまくり、何
君はたほいやを知っているか。そうだ、あのたほいやだ。「(静岡県で)遣小屋に同じ」ではない。それを語源とする、広辞苑を用いるパーティーゲームだ。 今日はそんな「たほいや」を七人でプレイする機会に恵まれた。 今までやりたいやりたいと言いつつ人数が集まらず(最低四人必要)、やろうとするとできないというジンクスが確立しつつあった。だから、たまたま人数が集まっている中でたほいや宣言を発し、ゲリラ的開催の運びとなったのである。 たほいやのルールは至極簡単。親が広辞苑から選んだ「一般的
東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』を読んでいる。最近本を読んでいても文章が頭に入ってこず、目線が滑ってしまうことが多いので、この本も本当に一部しか読めていないと思うけれど、色々と考えることがあったのでメモしておきたい。 ありがちな自己啓発本みたいなタイトルをしているが、単に「技術」というところに留まらず、話を「聞く」ことの本質部分を深掘りしている良書である。 まず「聴く」より「聞く」の方が大切なんじゃね? という問題提起がいい。言われてみれば確かに、日常的に行われ
6/5 P208〜210【今様歌】平安中期から鎌倉初期にかけて流行した新様式の歌。七五調四句のものが代表的で、和讃や雅楽の影響から起こる。白拍子・遊女などが歌い、宮廷貴紳にも愛誦された。「梁塵秘抄」に集大成。 梁塵秘抄! 積読!! 今様とか都々逸とかごっちゃになりがち。 【斎垣】神社の周囲の垣。みずがき。いがき。 いみには忌と斎があって、後者は神聖なんだな。 【忌詞・忌言葉】①不吉な意味や連想をもつところから、忌みはばかって使用を避ける語。斎宮での「仏」「経」「僧」などや
天気予報に雨マークが並ぶのを見ると辟易する。干した布団の香りや、日光が地面に落とす葉陰がとても恋しくなる。梅雨、早く終わらないかな〜。 5/29 P187〜189【一等】③(副詞的に)最も。「あれが—悪い」 ご年配の方が使っているのを聞いたような気がする。なんとなく分かるから流しちゃってたけど、そういう使い方があるんだ。 【飯綱使・飯綱遣】管狐をつかって術を行うこと。また、その人。長野県飯綱山の神からその法を感得したという。 ぬ〜べ〜とかにも出てきたっけ。怪異・妖怪伝承デ
昨日の広辞苑記念日は絶対に投稿しなければならなかったので今週はやや変則的になったけれど、また日曜日までの三日分をまとめて書いていきたい。 5/26 P178〜180外に出ると、今にも降りそうなしっとりした空気。もう完全に梅雨のムードになっちゃってる。雨の日はコーヒーでも片手に広辞苑を読む。これに限る。 【一夜限り】門松を大晦日に飾りつけること。忌むべきこととされる。 大晦日に門松を用意するのってすごい大変じゃないだろうか。そもそも門松自体を見かける頻度がすごく減っているの
広辞苑を読み始めて早2ヶ月—— ついに、この日がやってまいりました。 そう、広辞苑記念日です! なんでも、1955年に広辞苑の第一版が発売された日だとか(昨日知った)。これは何かしらせねばならないなと思い、週一の投稿にしようと書き溜めていた読書記録4日分を公開します。 5/22 P166〜168 今日から週一投稿にするのですこし気が楽になったかと思いきや、毎日読むことには変わりがないのでやっぱり大変さは変わらない広辞苑を読む。 【いたこ】①(東北地方で)口寄をする巫
最近ちょっと疲れてきているので、広辞苑の投稿を週一度にしようと思う。 それでもう少し他の記事も投稿しやすくなるかもしれないし、ならないかもしれない。 やってみないとわからないので、とりあえず広辞苑を読む。 【磯木】海辺でひろう薪。 湿ってあまり燃えなさそう。 【磯鵯】スズメ目ヒタキ科の鳥。全長二〇㌢㍍余。雄は灰青色で腹部は褐色、雌は灰褐色、下面は灰白色。海岸の岩石の多い所にすみ、鳴き声がよい。 イソヒヨさんを見かける機会はどんどん増えている感じ。 【磯辺巻】餅・煎餅・蒲
仕事終わりで百貨店に入った時の場違い感がすごくて疲れながら、今日も広辞苑を読んでいく。 【イスラム復興】二〇世紀半ばから顕在化したイスラム世界の宗教復興。イスラム法の再生をめざし、モスク建設や福祉活動を行う草の根型の復興運動や、イスラム原理主義とも呼ばれる急進的な政治運動がある。 今まで触れる機会が全くなかったのでこの辺の歴史とか全然わからないけれど、勉強してみたい。 【何れともなし】どれもこれも同様であること。いずれとなし。 どんぐりの背比べ的な感じか。 【伊勢は津で
雨が降るとややひんやりする。湿度以外はこれぐらいが一番過ごしやすくていい。 机上に出しっぱなしの、ややしめっとした広辞苑を今日も読んでいく。 【意趣返し】恨みをかえすこと。復讐。 もっと軽い感じで思っていたけれど、復讐のことなのか。 【囲障】〔法〕民法上、隣りあった建物の所有者が共同の費用で境界上に設けるべき遮蔽設備。協議が調わなければ高さ二㍍の板塀か竹垣などとする。 やっぱり決まってるんだなあ。2メートルの板塀があったら「ああ、意見が相違したんだな」とわかるだろうか。
昨日からついに夜も暑くなってしまい、めちゃくちゃしんどい。この辛さを表現できる語彙に出会えることを信じて、今日も広辞苑を読んでいきたい。 【いじける】①恐ろしさや寒さのために元気を失ってちぢまる。 逆! これの逆! 【意思主義】〔法〕①外部に現れた表示行為よりも表示者の内心の意思を重視して法律行為の効力を決める立場。これによれば、一万円のつもりで一万ドルと表示してしまった契約は無効になる。 一万ドルだと支払う方が不利になってしまうけれど、表示するのは受け取る側で、受け取る
今日は休みなのでゆっくりしたい……となってしまうところが、仕事の大変さだと思う。 そんなことを考えながらも、貴重な時間を広辞苑に割り当ててゆく。 【十六夜の月】(陰暦一六日の月は、十五夜の月よりもおそく、ためらうようにして出てくるのでいう)陰暦一六日の夜の月。既望。 「いざよう」は、進もうとして進まないという意味。もどかしい感じなのかな。 【細小川】水の少ないほそい川。 護岸されてない、野原の中を流れる小川のようなイメージ。そんな川をもうずいぶん見ていない。 【漁火】(