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白いご飯マジック

 小学生の頃、給食の時間が苦手だった。なにも時代錯誤に、完食するまで先生に見張られて泣く泣く食べていたとかではない。ただ、給食のメニューが不満だった。
 小学校給食というのは、「子供が好きだろう」の代表メニューが多くて、大鍋と呼ばれている、その名の通り一番大きい鍋に入っているカレーやクリームシチュー、(べちょべちょの)うどんやラーメンなどが思い出される。わたしはこれらのメインメニューが全て食べられず、もうとんでもない飢餓問題を起こしていた。代わりに他のおかずを多く食べられたかというと、女の子がおかわりするということは、わたしのクラスでは少なくて、ちょっと恥ずかしいことのように扱われていたので、同級生からの目を気にするあまり、好きだったわかめご飯や中食缶に入っている副菜をおかわりすることはできなかった。
 わたしは牛乳も飲めない。これは今も飲めない。給食の時間、喉が乾けばひっそり教室を抜け出し、ウォータークーラーの水を飲みに行っていたというなんとも言えない思い出もある。牛乳が飲めないことで一番嫌だったことは片付けだ。クラスに牛乳を貰ってくれる子がいる日はいいが、いない日は、牛乳係さんによって用意された飲み残しを入れるブルーのバケツに中身を全て出さなくてはならず、そのときの生臭い匂いが耐えられたものじゃなかった。とにかく、小学校給食は地獄だった。

 食べないでいることに慣れてしまったせいか、大人になった今でも小食ぶりを引きずっていて、わたしは初対面の人に声を上げて驚かれるほど食が細い。病気ではないが、体も細くて、体に付くべきニクが少ない。母が作ってくれる料理も人より多くは食べられず、食事時間が7分とかで終わってしまっていた。
 そもそも食に対する欲というのが、欠落しているのかもしれない。妹に食べていなかったアイスを取られようとも、ほとんど何も思わない。妹は、わたしと真逆で食べ物のためならどこへでも行き、びっくりするくらいのお金を費やす食の僕。わたしはよくお菓子やアイスを取られていて、食べないから構わないのだが、家族の中で名物となったそれは面白いので、「また妹にわたしのアイスを食べられた」と一応は騒いでおくことを忘れない。
 ちなみに、友人と居酒屋に行ってもお酒があれば満足なので、つまみは友人が頼んだものをちびちび食べるくらいでいい。

 2年前からひとり暮らしをしている。母もわたしも(おそらく父も)、わたしの食事面が心配だった。料理の腕前も人並みか、それ以下だった。なにより食べることに興味がないのだから、家で料理をすることも少なかった。しかし、意外や意外。いざ自炊を始めてみると、ご飯が進むではないか。時間にすると30分は食べている。なにも手の込んだものは作らないし、お気に入りは168円の冷凍餃子だったりもするけれど、とにかく毎日しっかりと食べている。
 なにより白いご飯がこんなに美味しいなんて、実家にいるときには気がつけなかった。特に炊きあがりは別格で、そのままでも何かを乗せても絶品。
 炊きたてのご飯が食べられる日は、朝から楽しみにしていて、ご飯の炊きあがりを知らせる軽快な音が聞こえると、わたしは踊りだしたくなるくらいに浮かれて、炊飯器の蓋を開ける。ふわっと白い湯気が顔にかかり、赤ちゃんと同じくらい幸せな匂いがする。炊きあがった白いご飯の輝きよ見よ、ツヤツヤのテカテカだ。彦摩呂さんの言葉を借りるならば、まさに宝石箱や~!という感じ。
 しゃもじを水に濡らして、釜(炊飯器)の中のご飯をかき混ぜる。米粒をなるべくつぶさないように、天地返しを何度か行う。そしていよいよ、お茶碗に盛りつける。炊きたてのご飯は、どんな豪勢な料理よりも、わたしの中に眠る生きる力、食欲をかき立てた。
 炊きたてご飯は、1回だけ。次の日になったら、保温されたふつか目ご飯になってしまう。炊きたてご飯ほどの感動はないにしろ、わたしはふつか目ご飯も美味しく食べたかった。そこで、考えたわたしは、ふつか目ご飯をキムチとチーズを混ぜて焼き、それを韓国海苔で巻いて食べるなんていうチートや、卵かけご飯のハイランクver(それは機会があれば紹介します)を生み出した。ただ混ぜたり、乗せたり、たまに火にかけたりするだけで、ふつか目ご飯を楽しむレパートリーが増えていった。

 現在のわたしの料理の腕前は、そこそこである。コロナ禍、宅飲みをするときには、友人におつまみをふるまったり、最近は実家に帰って、家族4人分の夕食を作ったりもした。美味しいと言われることがこんなに嬉しいことだったなんて。わたしは、母の料理にちゃんと美味しいと反応したことはあっただろうか、はっと思い、反省した。次に母のご飯を食べたときには、美味しい、ありがとうと伝えようと心に決めた。
 わたしは、素朴な白いご飯がきっかけで、食を楽しめるようになった。食の有り難みを知った。炊きたての白いご飯が教えてくれた大切な幸せを噛み締めて、わたしは自分だけでなく、大切な人にも振る舞い、そうやってみんなで生きていきたいと思った。
 わたしは今日も白いご飯の炊きあがりの柔らかな香りを嗅いでは、大切な人たちの顔が浮かべてみる。

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