映画「母の聖戦」 母もいなくなっていた
□「母の聖戦」(2023年1月公開)
カンヌ国際映画祭「ある視点」部門:勇気賞
東京国際映画祭:審査委員特別賞
ベルギーを拠点に
ドキュメンタリーを撮ってきた
テオドラ・アナ・ミハイ監督の劇映画デビュー。
監督は、メキシコで娘を誘拐された女性を取材し
ドキュメンタリー映画の準備を進めていたが、
その内容から危険を鑑みフィクションに変更した。
犯罪組織に立ち向かったこの女性は、
メキシコの母の日に自宅前で
十数発の銃弾を受け殺害された。
□母の黒い瞳、赤い唇
娘ラウラの微笑んでいるアップからはじまる。
ラウラは母のシエロにメイクをしている。
陽だまりのような時間。
シエロの黒い瞳が笑っている。
最後、母に口紅を塗って満足そうに言う。
”うん、この娘にして、この母ありね”
直後、ラウラは誘拐される。
シエロは錯乱し悲嘆にくれるが、
徐々に危険を顧みず犯行組織に近づいたり、
懇願して軍を動かしたりと娘を救う行動をする。
表情が変貌していく。
犯人に車を燃やされても怯まず、
長い髪を乱暴に切り、
黒いキャップを被り、
軍と一緒にアジトに入り、
不甲斐ない夫を叱りつける。
作品は安易にドラマ性を
高めることはしない。
音楽もかからず、
長廻しで報道番組のように
シエロの悲痛を追う。
ご覧になれる方は、ラストショットの
シエロの表情に注目いただきたい。
彼女はいったい何を見たのか。
生を見たのか、
死を見たのか。
□暴力の虜
メキシコでは年間6万件(推定)の誘拐事件が
発生しているが、当局への届け出率は1.4%のみ。
警察が腐敗しており、届け出た情報が
犯人に筒抜けで報復の恐れがある。
暴力はおぞましい。
無抵抗なら蹂躙されるが、
立ち向かうなら人間性を
かなぐり捨てなければならない。
暴力に拮抗するなら、
さらなる暴力に駆られてしまう。
荒涼たるメキシコの風景と人の心を見て思う。
人間は豪も理性的ではない。
貧すればいつでも野生。
秩序が躓けば、人は暴力の虜になる。
”お前は男であることも、人間の心も捨てたんだ”
シエロが犯人に言ったときの瞳。
娘だけでなく、
やさしかった母もいなくなっていた。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?