映画「ラーゲリより愛を込めて」 脳内で違うストーリーに書き換えた
上映中、一方では演出が好みではないと閉口し、もう一方ではこの題材に取り組んだ製作陣に敬意を抱いた。
そんな両方の意味で「なんだこの映画」と思いながら、閉口と敬意の均衡でスクリーンに強く集中していた。
松坂桃李の「私はまた卑怯に戻ったのです」と、桐谷健太の「オレは人間をやめた」。これを聴くために劇場に来たんだと思った。
スクリーンに希望は見えなかった。もしくは私に見る力がなかった。
ラーゲリで男たちが人の優しさを示したとき、そんなはずないと受け入れられなかった。
でもそれでもいい。そう思ったことこそが自分には大事だった。
戦争が怖くて、忌み嫌っているから、脳内で違うストーリーに書き換えた。
もっと残酷で、悲しくて、希望も人間性もないものにその場で変えた。
自分にとっての戦争を問い直す機会をくれたこと含めて、この映像体験に感謝している。
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二宮和也は、道義も希望も命ごととられた。
戦争は人間を破砕する装置だ。
肉体も、精神も、その両方でも壊す装置。
どんないい奴も、どんな事情がある奴も、どんなかわいい子どもも、完全に、大量に、意味なく殺す。
あらゆる戦争は自国こそ”被害者”だという認識ではじまる。
はじまる理由がなんであれ、戦争で目的を達成できることはない。
平時であっても戦争をやっても、国益上の不満や不公平は常につきまとう。
平時であっても戦争をやっても、国土や主権を失うときは失う。
戦争は死の質と量に対してまったく割に合わないから、ただただ回避するべきだ。
どちらかが征服されることがどうしても必至なら戦争ではなくじゃんけんにしたらいい。
戦争もじゃんけんも禍根は残る。でもじゃんけんは血が流れない、肉が飛び散らない、体が焼かれない、我が子が死なない。
一国の国益は残念ながら、一個人の幸福や哲学がさほど思い通りにならないように、それほど達成できるものではない。だから戦争は無駄だ。
ポップコーンを食いジュースをすすりながら涙する青年がいた。ヌルいと誹られてもいい。そんな時代がずっと続け。
原作:辺見じゅん(角川春樹のお姉さん)
プロデュース:平山隆
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