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映画「ノック 終末の訪問者」 理解してしまっている


□『ノック 終末の訪問者』

M.ナイト・シャマラン監督最新作。

優しい顔した4人がキャビンをノックする。

「あなたたち家族が犠牲になって世界の終末を救ってくれ」

ごめんねとか、傷つけたくないんだとか言いながら、人類のためにお願いと。

むかし、日曜日に子どもの手を引いて宗教勧誘でノックしてきた気の弱そうなお母さんみたいだ。

そんなのイヤですと断りたいが、人間には断れないときもある。

□動物世界から脱退してしまった

祖国のためだから死を覚悟して戦場に赴く。
第一原発を守るために命を賭して作業にあたる。
自らの犠牲をかえりみず伝染病治療に従事する。

動物としての人間は、自分とわが子の生命がなにより大切なはずだ。

それなのに社会のために犠牲になるときがある。
古くは神の怒りを鎮めるための生贄になるとか。

他の動物なら地球が滅びそうだってそんなことはしない。

きっと人間は「個体」だけで生きているわけではないと理解してしまっている。

だから野性的に、利己的になりきれないのだ。

人間は個体では生きていない社会的な動物。
他の動物とは一線を画す。

自らを「改造」してしまった種なんだんだ。
人間はすでに動物世界から脱退してしまった。

□世界が終末するわけじゃない

シャマランはなんでこれをつくりたかったんだろう。

人が殺傷される場面は直接描写を避けてたから怖くなかった。

訪問者たちの顔は優し気で、パパとパパと養子の女の子という家族も優し気で、一体どっちを味方すればいいのかわからなかった。

引き裂かれた気持ちになればよかったのかもしれないけれど、君たちが終末しちゃうくらいなら世界が終末しちゃえばとチラリと思った。

だって「世界の終末」って、本当は世界じゃないよね、「人間の終末」なだけだよね。

バッタは変わらず飛び跳ね、日は昇り日は沈むよね。

優しそうな君たちだけが死ぬくらいなら、いっそ世界みんなで死ねば公平じゃないないかと思うのはいつもの自分の思考の悪いクセだ。

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さだまさし『遥かなるクリスマス』
 メリークリスマス
 本当に君を愛している
 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
 メリークリスマス
 その隣で自分の幸せばかりを
 求め続けている卑劣な僕がいる
 メリークリスマス
 世界中を幸せにと願う君と
 いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる


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