見出し画像

見えていたのは、桜

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

ご無沙汰しております。
あっという間に3月も終わり、4月がやってきて新年度

みずみずしい果実のような
さわやかな、さわやかな。
そんな空気を感じる4月です。


いかがお過ごしですか?
いきなりですが

目に見えるもの、見えないもの。
見えていたと思ったら実はいなかったもの。
(こわい)

そんなお話です。


と、最初にオチを言ってしまう感じですが


お家にバスルームに小さな窓があります。
シャワーを浴びながら

あれ。窓の外に桜の木がある。
わぁ…知らなかった!
ピンク色。
桜の花も咲いているんだ…

わぁ…冬の間気が付かなかった。
うふふ、なんか嬉しい。
なんて、ちょっと嬉しい気持ちになりながら

春を感じていました。

その時です…


よく見るとなんだか違和感

実は
茶色の木の枝の後ろの壁が
薄くて淡いピンク色をしていて

目の悪い私には、それが合わさって見えて、満開の桜の木に見えていました。


それに気がついた瞬間、自分にツッコミ
そんな自分に笑っちゃいまして

『あぁ、たのしい。桜を楽しみにしていたのね』
と、なったわけです。

その時は確かに桜に見えていて
でも桜じゃなくて、ただのピンクの壁だった

見えているものって何なのでしょうね?

桜を見たいという私の思いが、単なるピンクの壁とその前にある木の枝を桜に見せていたのか


脳って素晴らしくて、でもちょっとおっちょこちょいで

簡単に勘違いしたり、でもずっと記憶として残っているものもあったり
逆にすぐ忘れちゃうこともあったり


そして、見えているものって、本当に果たして見えているものそのものなんだろうか?

自分が見ているものって
ほんの一部であったり
一部の角度からしか見ていなかったりするのかなぁって。


そして、見えていたものが実はそうじゃなかった時に

『わぁ!たのしい。実はこうだったのね❤️』となるのか

『なんだよぅ。騙された。かなしい』
となるのか

『あぁ、やってしまった。私ってばか』と自分を責めるのか


『もう!だましたのね!』と、怒りが生まれるのか


その時のモチベーションや、その時の状況により色々変わるのかなぁと思うと


見ているもの
見えているもの
それを受け取る時の感覚

見ていたものがそうじゃなかった時
見ていたものがその通りだった時
見ていたと思ったら見えていなかった時
そして、その時生まれる感情との関係


見えていなかった部分が見られた時のなんだかちょっと嬉しい時もあれば

見えていない部分に感じる魅力もある

なんと自分勝手な事でしょう。


人が見ているものってなんだろう
それを見て湧き起こる感情ってどこからどうやってきて
どのように変化していくのかなぁ

なんて考えながら本物の満開の桜を見ながら考えていました。


心のうち。
脳の中。

春は色んな気持ちがのびやかな樹木のように思考ツリーもあちこちにはり巡らされる感じがします。


ゆるやかに、のびやかに
それが春

まとまりがなくなってしまいましたが

それもまた、この瞬間の今

見えているものの一部で
ここから先は皆様の脳内にお任せして

終わりたいと思います。


とりとめのない独り言文章、お付き合いいただきありがとうございます。


shanti shanti shanti
imaiami

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?