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オムライスとカレーと?

お久しぶりです。
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
2024年になりもう半月が過ぎ、目の前には節分が迫っていて
節分が過ぎたら、寒い冬を終え、だんだんと春になっていく。

春になったら桜を愛でて
葉桜を楽しんだと思ったら
夏になり・・・

と、そこまで想像しながら始まったばかりの今年1年の今この瞬間をさておき遠くを見ている自分に気がつきました。

改めまして、本年も皆様にとって
愛溢れるものとなりますように。
と、いきなり終わってしまいそうですが

久しぶりに、東洋医学、睡眠、漢方、養生、みをつくし料理帳以外の本を購入して読んでいます。

Threadsの私のフォロワーさんがアップされていて
何気なくポチッと購入したこの本

まだ序盤しか読み進めていないのですが
序盤から何だか涙が流れました。

内容を書いてしまうとこれから読まれる方の楽しみを奪ってしまうことになってしまうので
詳しく書くのは控えさせていただきますが

【本当の私】ってなんだろう。
ノー!と思っていてイエスをいう自分なのか

自分だと思っていたら周りの目を気にしていて
そこからずれないようにして出来上がった自分なのか

では、本当の私ってどこからどこで、なんだろう。
どう生きる?
自分を自分らしくってなあに?

序盤からそんな自分の中に湧き起こるいろんなハテナと
いろんな感情とが心の中に浮かび

気がついたら読みながら涙していました。

ゆっくり、じっくり読み進めていきたいと思います。

自分を作り上げているものってなんなのでしょうね。
自分だと思っているものってなんでしょうか?

瞑想をしていてたまに思い浮かぶ疑問の一つであったりもします。

皮膚1枚の内側の中にある感覚
この皮膚1枚があるから隔てられているように感じる自分と、自分以外

その境界線がある意味なくなると、自分と自分以外が繋がっている感じがする感じもしたり
はたまた、その1枚が自分というものを守っているようにも思い

何から守ってるんだよう!と突っ込む自分もいて
殻に閉じこもりたいのかしら?
なんても思ったりもします。

よくわからなくなってきましたが。

【本当の私】ってなんだと思われますか?
自分だと思っているものは、人から見られる自分なのか
自分だと思う自分なのか
自分なのか
こうありたいと思う姿なのか

もし読まれた方がいたら
お話したいです。

何だかアレに似てますね。

オムライス。
オムライスの中身って、ケチャップライスが定番だと思っている人も
いや、違うでしょって方もいて

卵の内側と外側の世界。
卵1枚隔てているもの。
どれもオムライス。
みたいな。

・・・わかりにくい。

例えば
南インドのお母さんたちは
家族の状態を見て、スパイスを調合し、体調管理をする。
食養生はお母さんの愛情

そんなスパイスふんだんの料理を日本では一括りに【カレー】となる。
カレー味

というかそんな感じ(最近は違っているかと思いますが、インド料理、カレーよね、みたいな感覚って少し前まであったと思うんです)

でも、そのインドのお母さんにとってそれは単なるカレーじゃなくて
スパイスを使った家族の健康を守るためのレシピとなり
見る人が違えば

食養生にも、カレーにも取れる。
じゃあその作られた料理って自分のことなんて思ってるんだろう?

みたいな。

イギリス領となり、ミックススパイスなるものが生まれ
カレーとなったものも

そうなる前ってどういうふうに捉えられていたのかなーとか。

話がそれました。
まだ纏まりきっていないまま

勢いでnoteを開くとあかんですね。
こんな私の頭の中を最後までご拝読いただきありがとうございました。

自分らしく。
その言葉がどうぞ平和に、皆様の心に優しく愛と温もりをもたらすものになりますように。


ありがとうございます。
shanti shanti shanti

imaiami

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