見出し画像

noteの「スキ」って、告白みたい。

noteを使うようになって未だに
「スキ」って言葉に慣れない。

大げさに言うと、告白みたいだし。
ちょっと、緊張する。

そもそも、いつもSNSで
リアクションをするとき
気軽な気持ちでできない性格なのね。

本当にいいなーって思ったものにしか
いいねってできないし
スキなんか言葉的にもなおさらできない。

noteで誰かの記事に「スキ」をつけるとき
しっかり中身を読んで
本当にスキって思ってつけてる。(重い)

だから自分のスキした記事の一覧を
見るとしあわせな気持ちになる。

個人的な感覚だけど他のSNSと比べてnoteって
気軽にバズらないし、スキも増えないイメージがある。(勝手な仮説だけど)

SNSが生活の一部になってから
数字に惑わされることが多い気がする。

何万リツイートされてる
何万回再生されてる
チャンネル登録者数何万

だから、おもしろい、とか。

あ、インスタは早々と数字にとらわれることをやめてたね!

一回しかリアクションのついてないもの
一回しか再生されてないもの
その中にもちゃんとスキが存在してる。

数字にとらわれると
誰だか知らない誰かのために
物事を捉えることが増えてしまう気がする。
疲れちゃう。

もちろん、それも素敵なことだけど。

誰かのための人生じゃないしなー。

やっぱり自分がいいな、すきだな
って思った気持ち、感覚はなくしちゃいけない。

数字=価値
ではない。

お金もフォロワー数も再生回数も関係ない。

すきな気持ち=価値
なのかもしれない。
(どうだろ、もっといいのありそう。)


今流行ってるこれを書いたら
数字が増えるかも
とか考えすぎると

「本当は違う気持ちなのに。」
って本心が見えづらくなる。

それどころか
自分が本当はどう感じてるか
ということ自体に目を向けなくなる。

自分の好きがわからなくなるのって
寂しくて悲しい、そんな気がする。

俺は、俺の好きを好きでいたい。

誰になんと言われようと
どんな世の中だろうと

自分の好きな映画、好きな音楽、本、
すきなひと
すきなnoteの文章たちのことを
胸張ってすきって言いたい。

言うね。

俺、ずっと
『バックトゥザ・フューチャー』
がだいすきなんだけど

王道かよ!
ベタだね!

って思われるのが恥ずかしくて
あんまり言えなかった。

でも俺は言うよ!

バックトゥザ・フューチャーがだいすき。
ワンピースがだいすき。
ビートルズがだいすき。

自分の好きをいつまでも大切にいたい。

誰かのnoteにつける「スキ」は
数字じゃなくて
俺自身の大切な気持ちの「スキ」(重い)

1しかスキが付いてなくても
そのまま自分の好きな文章を書いてほしい。
書いていたい。

数字を追うばかりで
大切な気持ちを忘れてしまいそうなとき

気持ちを込めて誰かの素敵な文章に
「スキ」をしている。

やっぱ、告白みたい。





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?