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連載(81):人類の夜明|まどろみの中で「労働本位制は連帯意識を強める」

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

労働本位制は連帯意識を強める

貨幣は物を手に入れる手段として、利殖の媒体として、また価値の貯蔵もできる便利なものだけに、人の心に欲望を育ててしまう。

また貨幣は、目に見え、手で触れるだけに、何とか楽して手に入れられないものかと、よこしまな心を育ててしまう。

ギャンブルでひと儲けしよう、人を騙し儲けよう、あるいは金を盗む、偽札を作る、儲け仕事に目の色を変える、ガムシャラに働く、こうしてこの社会は、お金が敵と呼ばれる修羅場に変わっていくのである。

もしこの社会に貨幣が存在せず、労働の循環によって支えられる労働本位制の社会だとしたら、私達の生活はどう変わるだろう?。

労働者は自らの意志で職場に赴き、そこで天職をまっとうし目的物を完成させる。

この段階で自分の労働がどのような社会的意義があったかは分からないが、資本主義社会のようにここでつながりが断ち切られることはない。

なぜなら、ここで貨幣という果実をもらわないからである。

したがって、労働者の責任は家庭内にまで持ち込まれ、良い意味での余韻を残すのである。

もし手抜きでもしようものなら、その影響は自分の家庭内にまで忍び込み、日々の生活を苦しいものにしてしまうだろう。

また資本主義社会では、労働の目的が賃金であるところから、共に苦労してつくった目的物も、その感激が貨幣にすり替えられてしまうため、社会的性質を持つ労働力が孤独に浮き上がってしまう。

しかし労働本位制の社会では、それが消費生活を通じて感得されるため、喜びを共に分かち合うことができるのである。

これでは、厭でも連帯意識が高まらないわけにはいかないだろう。

また他人の生活の中に自分の労働成果が輝いて見えるようになり、何故かその人たちが他人のように思えない不思議な感情も生まれるのである。

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