「競争することの違和感」と「雨の効用」
雨の日は自然と私たちの足を立ち止まらせてくれている。立ち止まることを忘れている私たちを立ち止まらせてくれている…それは天からの恵みであると考えてみてはいかがでしょうか?
雨の日は何もできない。
せっかく出かけようと思っていたのに…。
なんて思うことも少なくないですよね?
社会人佐藤ゼミの今川です。
最近、職場の精神科の先生が雨の日の話をしてくれました。そのお話から色々思ったことを書いてみようと思います。
私は昔から何となく、何もしない1日があるとダメなような気になってました。
動くことが良いこと、静止するのが悪いこと
なんだか現代はそんな価値観が植え付けられているように思います。
何かをしていると充実しているような?
Instagram、Facebook、Twitter、YouTube、Podcast、noteなどなど…。
SNSとかはキラキラして充実しているように見える人が多いなぁ…なんて。
受験戦争(競争)の影響とかもありますかね?
より多く勉強して、より高い点数を取ったものが勝つ。(幸せ)
しかし、高い点数を取ることが幸せにつながるわけではないことに、何となく気がつきませんか?
違和感といったらいいでしょうか?
けれども、じゃあ何が幸せなのかを自分のものにするまでは、競争社会の悪魔の声に囁かれて、焦りや不安を感じてしまう。
そんな気がします。
雨の日は足を止められてしまいます。
(雨のおかげで止まれたとも言いかえられる)
静かに立ち止まって、何もせず過ごす。
こころの声(本音、本心)に耳を傾ける。
安心できる家の中でリラックスして自分を労わる。
日常の色々なことを改めて眺めてみると、色々なことに気がつく。
最近、連絡を取れていなかった友達のこと
この前、家族に言い過ぎてしまったことに対する反省
仕事や学校で起こったことを改めて振り返ってみた時の気づき(学び)
そんな風に考えると立ち止まることで良いこともありそうですよね。
誰かを想ってみたり
自分の失敗に気がついたり
ネガティブに思ってたことがポジティブになったり
最近無理していたことに気がついたり
周りの人の優しさに気がついたり
晴れの日が続きアドレナリンが出て興奮状態が続いて、動きまくってしまっている人は、雨の日も休めなくなってしまっているかもしれませんね。
休んでしまうと負けてしまう!やらなきゃ!と雨が降っても無理やり動く。
本来は雨の日は自然と足が止まります。
それは私たちが心の幸せに気がつくための恵みの雨なのかもしれませんよね(^ ^)
今、色んな事情で立ち止まっている人がいるとしたら、それはダメなことではなく、立ち止まっても良いのだとポジティブに思って欲しいなぁと思います。
立ち止まることは自分を大切にしているプロセスだったりします。
そんなことを職場の先生のお話から学びました。
社会の中で疲れてしまっている人はたくさんいらっしゃると思いますが、周りのことを気にされる優しい方が多いように思います。
雨の日は自分を大切にするという楽しみを見つけてみませんか?
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