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自分の思う最高にカッコいい自分

超久しぶりの投稿です。
Voicyを平日毎日投稿するようになり、noteに「書く」ということがめっきりなくなりました、、、

でも、「喋る」ことと「書く」ことは全く別なので、たまには書いてみようかと思います。

さて、最近とある定例ミーティングであるプロジェクトを進めるにあたり、デモンストレーションをしようということにあり、ありがたいことに僕がその被験者(?)に選ばれました!笑

テーマは
「自分が思う最高にカッコいい自分」

実は僕の中で
「自分が思う最高にカッコいい自分」
は普段から考えることが多く、結構明確に持っているつもりでした。

なので、このデモに際しても、僕は特に問題なく受け答えできると思ってました。

しかし、蓋を開けてみるとそんなに簡単なものではありませんでした。

様々な視点から質問されるうちにどんどん自分がわからなくなってきました。

特に
「Having」・・・得たいもの
「Being」・・・ありたい姿

この違いを切り離して考えることがとても難しかった。。

それはなぜか。

理由は僕が思う「最高にかっこいい自分」は
「俺か俺以外かでいうと俺」
「多くの人から求められている自分」
だから。

僕の中でそれは「Being」だと思ってました。
でも、質問の中でそれは「Having」ではないのかと問われました。

理由は自分の中にある最高にカッコいい自分の中には常に「他者」が存在するからです。

自分にない視点で質問されると、自分の考えが揺らぎます。

でも、その揺らぎが大切。

揺らぐから、向き合える。
揺らぐから、考える。

ふとした瞬間に自分と対話する時間がすごく増えた。

でも、いくら対話してもわからない。
いくら対話しても、行き着く先はいつも最初に出した答え。

多分、今の僕の中で「他者」という環境から受ける影響が途轍もなく大きいということなんだと思う。

さて、ここまで書いてきて、自分が何を書きたいのか、何を伝えたいのかがわからなくなってきた、、笑

でもわからなくていいのかもしれない。

ほんとに自分が考えている「最高にかっこいい自分」も「この文章で伝えたいこと」も。。

はっきりさせることが重要なのではく、これを「問い」として自分と対話し続けることが大切で、それをし続けることができる自分が
「最高にカッコいい自分」
なのかもしれない。

うまくまとめた風を出せたので、今回はこれで。

また気が向いたら書きます。

最後まで読んでいただきありがとうございました!



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Keita Imada
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