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されど青の深さを知る

敷地をぐるりと囲むように離れと納屋、蔵と風呂
我が家の庭から見る空は四角く切り取られていた

灯篭の前に陶器の蛙がいる、ここに置いたのは私だ
庭石が窪んでいてそこに雨水が少しだけ溜まる、蛙にはそこが嬉しそうに見えたから

「蛙はなんて言ってるんだ?」
いつの間にか後ろにいた父が、こちらを覗き込んでいた
小脇に竹を持っている、七夕に飾るために近所の竹藪から採ってきたんだろう
「虹が綺麗だってさ」

ジョウロ型のノズルが付いたホースで天に向かって水を舞い上げると日を浴びて虹が架かる、それがとても綺麗で、庭の花々に水をあげるのはいつも私の役目だった
ロの字になった庭の構造は、水やりをしながらぐるりと一周するのに随分時間が掛かった、長いホースが絡まらないようにいなしながら、ひとつひとつに水を染み込ませていく
そんな私の姿を見て祖母は、精勤だねえとよく首を傾げていた

「一緒に飾ろうか」
竹を立て終えた父が、長方形に切られた画用紙と五色の紐、それと折り紙を持ってきた、これで何か作れと促すように折り紙を手渡される

「神棚にぶら下がってるやつじゃだめなの?」
「そりゃまずい、色々と」
私が怪訝な顔すると「なんだその顔」と同じように眉をひそめながら笑う
確かに街中で見かける竹には紙垂は飾られていない、代わりに様々な形のものがたくさんぶら下げられていた、網みたいなもの、提灯みたいなもの、色とりどりでどれも不思議な形をしていた、それらと願われたたくさんの言葉たち
一体何に願うんだろうか、それは全くわからないけれど、ひとりひとりの願いが空へ舞い上がって星になり、天の川と呼ばれているんだろうか

「でもまあ、いいとこ突いてるな」
うん、と今度は満足気に笑った父が、自分の作業服の胸ポケットから黒いペンを取り出すと、離れの壁を机がわりにするように短冊に筆を走らせる「元々はそういうもんだ」と取ってつけたように呟きながら

「願うものじゃないんだよな」
神社でもそうだろ、とは言わなかったが聞こえたような気がして、なるほどそうかと腑に落ちた、父からペンを渡されて、ふと天を仰ぎ見て考える
願うものではない?首を傾げながら私が文字を書いている間に、父は自分の短冊を高いところにくくりつける、紐の色は緑だった

「自力で叶えるってことでいい?」
尋ねると同時の書き終わりに、私の手元を覗き込んできた父が、わはは、と漫画のような笑い声をあげた

「なるほど、そうだよ」
短冊を父に渡すと、まるで花を見るような顔をして眺めてから、五色全部の糸で自分の短冊の隣にぶら下げる
見上げるが見えない、口を尖らせる私を見てまた、わはは、と声を上げた
背の高い、まだ飾りのない笹に短冊が二つ、仰ぎ見る笹越しの空が深く青く見える

「お父さんはなんて書いたの」
短冊が風にひるがえり、私の短冊が顔を見せる
【世界平和】
空を覗き込むみたいに右へ左へ体を伸ばすけれど、父の短冊は捻くれ者だった

「いい天気だなあ」
おでこに手を添えて大袈裟に空を見上げて間延びした声で言う、これはもう答えないつもりである、なぜなら私もよくやる
その言葉とワンセット、の組み合わせとして私の方は大袈裟に肩を一度あげて、視線を下へと落とすと、蛙がさっきの私と同じように短冊と空を眺めていた

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