コロナ世代の若者たちが創る未来を想像してみよう。
新型コロナウイルスが日本で猛威を奮って1年以上。コロナ禍による生活への影響を挙げるとキリがありませんが、今回は僕と同世代の20歳前後の若者(大学生)に焦点をあててみようと思います。
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まず、コロナ禍による僕の大学生活の変化をザックリとまとめます。
《Before》1年生(19-20歳)←浪人したので💦
・授業は全て対面形式。
・部活は週3でガッツリ活動し、交流戦や大会が結構な頻度で開催されていた。
・イベントは主に飲み会で、これもまた結構な頻度だった。
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コロナ禍前は予定が盛りだくさんで、やることに事欠かなかった。
《After》2年生-3年生(20歳-現在)
・実習系を除いてオンライン形式の授業。zoomを使うよりもyoutubeによるオンデマンド方式が多い。対面授業が徐々に再開している。
・部活は完全に活動停止。感染者数が落ち着いて復活した時期もあった。大会等は全て中止。
・イベント系は、大学側からの御触れにより一切無くなった。
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医療系キャンパスということもあり、規制が厳しく活動らしい活動ができない。要するに暇。
ここで僕が言いたいことは、コロナ禍によって、僕たちは膨大な空白の時間を突き付けられたということです。そして暇といっても色々と規制がかけられているため、暇を持て余す手段が限られています。つまり、身動きがとれなくなってしまったということです。
(地方民の分際でこんなこと言って申し訳ないです。都市部の学生さんはもっと大変ですよね。)
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大学1,2年生というのは多くの人にとって、初めて自分で自由にデザインできる生活を手に入れられる時期です。大学の行事、サークルのイベントや海外・国内旅行などを通じて自分の世界が一気に広がる、そんな時期です。
よくテレビ番組などでは、コロナ禍だからこその楽しみ方とうたって、料理や読書などを取り上げています。ですがそんなことはコロナ禍の有無に関わらず、時間を作ればいつでも体験できます。その一方、大学生が経験する圧倒的な規模での世界の広がり方はやり直しが利かないもので、それはこの時期にしか体験できません。
20代前半における経験と30代以降における経験とでは、同じ経験でもその価値には雲泥の差があるのです。
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その点で僕の代(2019年入学組)は恵まれていたといえるでしょう。なぜなら1年間、大学生として様々に活動ができたからです。
僕が着目したいのは2021年入学組にあたる今の1年生の代です。
彼らは高校3年生と大学1年生をコロナ禍で過ごしています。高校生活最後の1年間を奪われ、大学に入学しても身動きがとれない状況は変わらぬまま。可哀想という言葉が適切かは分かりませんが、可哀想としか言いようがありません。
そして、彼らについて忘れてはいけないことがもうひとつ。
大学入学共通テストの1期生
皆さん覚えていましたか?コロナコロナと叫ばれて、すっかりとその存在が掻き消されていたのではないでしょうか。記述形式をするだのしないだの、英語の外部試験を採用するだのしないだの、採点に公平性がでるだのでないだの。すったもんだの末に試験は無事終了したようですが、方針が二転三転していましたよね。それに翻弄された受験生のモヤモヤは想像に難くありません。
その渦中にいたのが彼らです。高校生活最後の1年間を潰されたうえに受験に翻弄され、やっと入学した大学もろくに活動できない日々が続く。まさに、自らの力ではどうにもできない出来事に抑圧され続けた世代と言えるでしょう。
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ここで1度話を脇道に逸らします。
コロナ禍により学校が一斉休校になった時期がありましたよね。あの時期に"秋入学"なるものが検討されたのは記憶にも新しいでしょう。政府も当時は、「コロナは日本の学校教育を変革する起爆剤だ!」のような感じでかなり前向きな印象でした。ですが、今やそんなことはどこ吹く風。
また、今日の大学の授業(対面形式)で教員が言ったことに僕は驚きました。それは、「文科省から可能な限り対面授業を推進するようにといわれている。」という内容でした。対面授業は決して悪いものではなく、メリットもあります。僕が驚いたのはそこではなく、国の保守的な姿勢です。
未知の感染症の流行という、これほど衝撃的で根こそぎひっくり返されるような出来事があっても尚、変わろうとしないのです。日本の学校教育の問題点に国民の多くが気付く中、尚変わろうとしないのです。これでは日本の学校教育のあり方は当分変わりそうにありませんね。
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話を本線に戻します。
教育システムが変わらないこととは正反対に、コロナ渦を境に"個の流れ"がより強まっているとよく耳にします。在宅を余儀なくされた結果、インターネットベースであらゆることが出来ることに多くの人が気付き、個人の持つ能力が飛躍的に増大したからです。
この個の流れは僕たち学生にもあてはまると思います。空白の時間ができて身動きがとれなくなった今、僕たちに必要なのは主体性です。来るべき将来にむけて自分自身の価値を高めることが、今の僕たちにできることです。コロナ禍で有り余った時間を過ごすうちに多くの学生がこのことに気付いたのではないでしょうか?
特に現在の大学1年生は抑圧され続けた分だけ、自分自身の在り方や今すべきことについて意識が高いのかなと思います。
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コロナ禍によって自由が制限された今、僕たち学生は有り余るエネルギーを自分自身に向けて使っています。そのため、コロナ禍前の大学生よりも今の大学生のほうが遥かに主体性や問題意識が高いのではないでしょうか。
加速する個の流れの中、彼らの個の意識はどの世代のものよりも顕著で強固になっていくと思います。そして、彼らが社会に出て主体性を求められるようになったとき、積み上げてきた力を存分に発揮できるのです。
僕は、コロナ世代の若者が創る未来は主体的で革新的な未来になると考えています。ひょっとすると日本のシステムを変える程の力を持っているかもしれません。具体的に想像するのは難しいけれどきっと面白い未来になるだろう、と思うと楽しみです。
僕もコロナ世代の一員として、その流れに乗り遅れないよう主体性を磨いていきたいです。