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#78【介護雑記】「育児」と「介護」は似ている?!似ていない?!

「育児」と「介護」は、よく似ている ――。

そう子育て中の知人に話すと、「ええー?!ぜんっぜん、違うよぉ~!!」と、笑顔で全否定されることがよくあるw

確かに、スクスクと育っていく我が子の可愛さと、年老いた親のめんどクサさを比べれば、さもありなん。モチベーション的には完全なる反相関だ。

しかしながら、それでも私が「似ている」と感じる理由は、大きく分けて6つある。


1、「育児」も「介護」も、拘束時間は1年365日、24時間。

生まれた時から、保育園に預けられる位になるまで、親は24時間、365日の育児体制となる。数時間毎の「授乳」と「オムツ交換」を中心に、刻々と変わる体調の変化を見守り、万一の事故がないように、逐一、気を配らなければならない。

介護も、特に「在宅介護」では、介護者が24時間、365日の介護体制となる。これも数時間毎の「食事」と排泄補助を含む「オムツ交換」を中心に、「服薬管理」や「着替え」「体位交換」、掃除などの「衛生管理」と供に、こちらも刻々と変わる体調の変化を見守り、万一の事故がないように、逐一、気を配らなければならない。

在宅介護の場合では、それが数年から数十年の期間に及ぶ。

2、「育児」も「介護」も、日々、常に、想定を超えて来る。

小さな子供達の身体の成長や想像力(脳の発達)は、親の想定を遙かに超えてくる瞬間がある。それが「育児の喜び」でもあると同時に、その瞬間に様々な「事故」の危険性も高まる。

この時、事例によって、直ぐさま、「危険回避」しなければならない事もあるし、成長の為に、敢えてリスクを承知で子供の様子を見守り、「成功体験を積ませる」という選択をする時もある。

シンプルに言えば、「育児」は、この選択の繰り返しとも言える。

高齢者介護でも、特に、MCIや認知症を発症しているケースでは、要介護者は、日々、様々に介護者の想定を軽く超えて来るw

これは、「成長」ではなく、脳機能の「衰え」によるものだ。

これも出来うる限り、適切な対応をして、要介護者が心穏やかに、安心して過ごせるように対応しなければならない。

「成長」と「衰え」、相反する事象だが、「日々、想定を超えて来る。」という点では共通であり、「危険回避」や「見守り」、それに伴うフォローが必修であることは共通している。

3、「育児」も「介護」も、その「命」の行く末を握っている。

まだ生体的に不安定な幼児であるなら、食事から排泄まで、生活のありとあらゆる事を親が子供に施さなければ、子供は直ぐに死んでしまう。

「自炊」が出来ない子供達には、親がしっかり食べさせなければ、子供達は栄養失調で痩せ細り、死んでしまう。丈夫な身体を作る為には「食育」も必要だ。

高齢者の介護も、その点は同じだ。

終末期に入れば、「自立・自律」能力は、どんどん衰えてくる。そのまま、ほっぽっておけば、脳機能と免疫機能がシンクロしながら少しづつダウンしていき、生体機能がダウンしていき、いずれ、その命を閉じていく。

例え、「延命治療」を施したとしても、いつかは、その治療を止める選択をしなければならない。それは大抵の場合、本人の意志ではなく、介護キーパーソンや家族の意志決定に委ねられる。

「育児」においても、「介護」においても、”その命の行く末を握っている”、という点では、その重みは、同じだろうと考える。

4、「育児」も「介護」も、”リモート”では完結できない。

1~3の項目を踏まえると、「育児」も「介護」も、「”リモート(遠隔)”では、完結されない。」という見解に至る。

note内でも、若い世代は、最新のデジタル機器を駆使して、「育児」から「介護」に至るまで、「リモート」でやってみせようと奮闘している記事をよく見かけるが、「育児」も「介護」も、それで、事足りる事案ではないんで・・・。

直ぐにパンクする。

何故かと言えば、「育児」も「介護」も、日々想定を超えて来る事案だからだ。そして、それに迅速に対応できるのは、直ぐに差し伸べられる「人の手」、機動力のある「人の力」しかない。

AIやデジタル機器が、どんなに進化しても、”常に想定を超えて来る育児や介護”を、完璧にフォローすることは出来ない。それは、その事案解決に最も必要な、柔らかく、しなやかで優しく、時に強く頼りがいのある「手指」を、”彼ら”が、まだ持っていないからだ。

デジタルの「声」や「目」だけでは、子供を抱き上げることも、弱った親の身体を支えることも出来ない。誰も。

それが、現時点での「リモート力」の限界だと私は感じている。

5、「育児」も「介護」も、”ワンオペ”では出来ない。

これは言わずもがな、始めに記した【「育児」も「介護」も、拘束時間は1年365日、24時間。】にフィードバックする。

例え、「ママ」や「パパ」になったとしても、それは「育児マシーン」になることではない様に、「介護キーパーソン」になったからといって、「介護マシーン」になることではないのと同じ。

人は「マシーン」には、なれない。
どんなにポテンシャルの高い優秀な人間でも。
「育児」も「介護」も、”ワンオペ”では出来ない。

6、「育児」にも「介護」にも、金はかかる。

「育児」に子育て支援があっても、金がかかるように、「介護」に介護保険サービスがあっても、金はかかる。

そしてそれは、生きて行く上で、必要最低限の「生活の安全」と「衣・食・住」環境と、人としての「尊厳」を維持する為に。


以上のような点で、私は「育児」と「介護」は似ていると思う。

「だからなんだ?!」と言われれば、返す言葉はないのだがw

『育児をするように、介護をすればいい。』とも一概には言えない。子供に対する”愛情”と、親に対する”愛憎”は、違う。ここは大きく異なる点だと思う。

「育児経験」がないから「介護は出来ない」というのも違うし、逆に言えば、「育児経験」があるから「介護もイケる。」という訳でもない。

ただ、「介護」も、「育児」と同じ様に、1年365日24時間、日々、想定を超えて来る事態に対応しなければならない、という膨大な労力と、「お金はかかるんですよ。」と、いう事に対して、もう少し、社会的な理解と支援があってもいいのではないか?

「待機児童」の問題を提起するように、認知症になっても、何処にも行き場がない高齢者の問題、それにより苦しんでいるビジネスワーカーや家族介護者の声にならない小さな悲鳴に、世界はもっと目を向けて欲しい。

そう願っている。

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