#146【介護雑記】私が「在宅介護」を決めた、もうひとつの理由。~お前を忘れない~
先日upした記事、【 #144【介護雑記】私が「在宅介護」を決めた理由。】では、私が「在宅介護」を決めた理由をふたつ、挙げた。
父の「せん妄脱走事件」「身体拘束事件」は、強烈な事案だったが、実は、もうひとつ、忘れられない出来事があった。
父がこの病院で受けた手術は『冠動脈カテーテルステント手術』、手首と足の付け根の辺りから2本のカテーテルを挿入し、心臓を支えている3本の動脈のうち、2本の動脈の細く潰れている箇所に、しなやかで、ほっそいステント製のパイプ(長さ5cm~10cm)を挿入して、”冠動脈を広げる”というものだ。(ザックリだけど。)手術時間は約2時間~5時間、通常は4泊5日の入院期間で治療を仕上げる。
この『冠動脈カテーテルステント手術』は、心臓外科(循環器外科)ではなく、心臓内科(循環器内科)の担当になる。
父が入院したこの病院は、昔から、心臓外科(循環器外科)に定評があり、心臓のバイパス手術など「開胸手術」を伴う心疾患の治療については、”地域一番店✨”だった。
だが故に、患者への身体的負担やリスクが格段に低減される『カテーテルステント手術』の技法が開発されると、病院は、この技法を他病院に先駆けて積極的に導入。1機、何千万もするような、最新鋭の機材を次々と導入し、『冠動脈カテーテルステント手術』の技量と治験を瞬く間に高めていった。
しかし、その裏で、院内のパワーバランスは微妙に崩れ始めた。
それまで、花形(稼ぎ頭)だった「循環器外科」及び「循環器外科部長」の権威は衰え、最新鋭の精密機材を自在に操れる若手チームの「循環器内科」及び、そのチームを率いる「循環器内科部長」のN医師が、院内のパワーバランスを掌握した。(N医師は、私より4つ歳下である。)
N医師は、それでも難しいとされる『冠動脈カテーテルステント手術』を、まるで、『抜歯』をするが如く、1日5件から多い時は10件の手術を軽々とこなし、年間約1,200件の『冠動脈カテーテルステント手術』を成功させるという、業界でも名の通った”凄腕”だ。
N医師の優れたカテーテル技術を学ぼうと、全国から多くの循環器内科医師達が、この病院に研修に訪れていた。
その上、タチの悪い事に、スラリとした長身で、”提真一”似のイケメンだった・・・。(まさしく、映画「孤高のメス/主演・提真一」状態だ。)
父の主治医になったY先生は、N医師のチーム下で、駆け出しの心臓内科医だった。「執刀医は、N先生になります。勿論、僕もお手伝いに入ります。勉強させてもらいます!✨」と、Y先生は、N医師の事を誇らしげに話していた。
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父は当時85歳と高齢だったので、身体への負担を配慮し、手術は2回に分けられた。
第1回目の手術が無事に終わった後、私は、待機していた院内のティーラウンジで、たまたま通りがかったN先生と会った。
私は、慌てて立ち上がり、N先生にごあいさつした。
「あ、先生、お疲れ様でした。○○の長女で、Ilsaと申します。本日は、大変にありがとうございました。父がお世話になりました。」
N先生もニヤッとしながら、
「無事に、綺麗に仕上がりましたよ。身体の大きい人だから、まぁ、術後の経過も心配ないと思います。」
「そうですか。ありがとうございます。後は、一生懸命リハビリをして、腓骨神経麻痺も、もう少し、良くなるといいなと思っております・・・。」
すると、N医師は、こう答えた。
そう声高々に言って、せせら笑いながら纏った白衣を、まるで王様のローブの様にはためかせ、堂々たる足取りで、私の前を通り過ぎて行った。その後ろを数名の看護師達が、なんだか申し訳なさそうに付いて行った。
な・ん・だ・と?!・・・・・・・・・💢💢💢
まるで、自分の心臓をグッとつかまれ、ひねり上げられたような痛み・・・。
私は、しばらく息が止まったかの様に、愕然と立ち尽くしていた。
腹の底から、何とも言えない「怒り」が沸々と込み上げてくる。
世が世なら、場所が場所なら、私は、太刀を抜き、N医師を追いかけて行って、後ろから、袈裟懸けに、バッサリ斬り倒してやる所だ。
松の廊下で吉良上野介に斬りかかった浅野内匠頭の様に・・・。
だが、父の手術は、あと、もう一回ある。
N医師にすれば、楽勝な『冠動脈カテーテル手術』であっても、”父の命”を預けなければならない事に変わりはない。
”ここは一番、何としても堪えなくては・・・。”
屈辱だった。
”リハビリなんか無駄。せいぜい100mも歩けりゃいい。”
”認知症のリスクもあるんだから。(どうせ認知症になるのだから。)”
こんな心ない医師に、父の命を預けなければならない事が・・・。
”医療技術さえ優れていれば、患者やその家族に、何を言ってもやっても、許されるとでも?!”
”あんたは、「心臓」を扱うスペシャリストなのに、心臓がないのか?! ”
”凄腕?!"
ふざけるんじゃねぇよ!!💢
(引き続き、不適切な発言をご容赦下さい。)
父の手術が無事に成功したのに、私は、見舞い客用のトイレの個室に引き籠もり、持っていたタオルに顔を埋めて号泣した。
私も、まぁまぁ、厳しい業界で職業人として、それなりに辛酸を舐め、数々の”強敵”に揉まれて来たほうだとは思うが、「肉親の命の行方」を握られていては、何ひとつ、反論する事は許されないという、こんな辛苦は、人生ではじめての経験だった。
それまでの、”医療”というものに対する”信頼”が、音を立てて弾け飛んだ。
”SNSに病院名と医師名をぶちまけたろか?!💢"
何度となく、そんな衝動に駆られたが、不意の事だったので、明確な”証拠”がない。
それに、N医師の放った言葉は、辛辣ではあるが、医師としての見解からすれば、紛れもない”真実”だ。
院内では、「せん妄」や「認知症患者」に対しては、必要であれば、「投薬」+「身体拘束」は、規定通りの処置だし、「認知症」のリスクは、高齢者なれば、誰にでもある。そして、「認知症」のリスクを抱えながら、出来るリハビリには、直ぐに限界がくる・・・。
”それが、わからない貴女ではないだろう?”
N医師は、私の事をそう見抜いて、下手に飾らずに、真実だけをズバリと言い放ったのかも知れない 。そして、「あんまり気張りなさんな。」と、笑って見せたのかも知れない・・・。
何よりも、自ら執刀医をしながら、沢山の研修医に、その技術を熱心に教え、後進の育成に尽力し、沢山の患者を救っているのも、また”真実”だ。
SNSになんかに晒せば、証拠があろうがなかろうが、忽ち「大炎上案件」になり、この病院もろとも、N医師を封殺する事も可能だが・・・。
それは、ただ単に、イタズラに「私怨」を晴らすだけで、誰の何の役にも立ちはしない。むしろ、この病院の精鋭設備と、N医師の医術を頼りに、全国からやって来る、多くの患者さんから、その希望を奪う事になりかねない。
それは、本意ではない。むしろ、絶対に、やっちゃイカンだろ・・・。
2回目の手術を受けるまでの一ヶ月間、私は父の介護をしながら、そう自分の気持ちに折り合いをつけた。
だが、私は、お前の事を、決して、忘れはしない!!💢
これが、私が「在宅介護」を決めた、もうひとつの理由だ。
でも、これは、私自身の「勝手な私怨」に過ぎない。
こんな事があったと父に告げれば、父は忽ち不安になり、「2回目の手術は受けない!💢」と言い出しかねない。それは困る。
そうでなくとも、二度目の入院手術の際の「せん妄」対策に、集中させなければならない。さらなる「身体拘束」は、回避させたかった。
また、この「私怨エネルギー」を、父のリハビリに被せて、父を煽り、元気になって「N医師を見返してやろうっ!!」と言うのも、「介護」という”本道”からは、外れてしまう気がする。(介護は自己満の為にやる訳じゃないし。)
なので、ひとまず「封印」という、”棚上げ”になっていた。
あれから足かけ3年、父は、一度も、心臓の不具合を訴えた事はない。
『冠動脈カテーテルステント手術』を受けた事で、全身の血流が改善し、靴が履けない程、大きく浮腫んでいた「右足」も、元の大きさに戻ったおかげで、歩行状態も格段に改善した。
毎日、朝夕、2回、トレッキングポールを付きながらではあるが、約500mを、一人でゆっくりと散歩して帰ってくる。認知症の極端な症状もない。
顔色も良く、穏やかだ。
父は、父自身の生きる力で、よく頑張ったと思う。
私は、元気になった父を病院へ連れて行き、N医師に、”ドヤ顔”で、見せてやりたいと思った。
だけど、きっと、N医師も、またあの、スカした憎たらしい顔で、”ドヤ顔”するんだろうな、絶対・・・💧
そう思うから、連れて行ってはいない。
この勝負、お互い「勝った!!✨」と、思っときゃいいだろw
だが、私は、絶対に、お前を、忘れはしないw