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#106【介護雑記】”迎えの舟”を待つ岸辺から。

「認知症」とは、誰もが避ける事のできない、”迎えの舟”だと考えている。

「認知症介護」とは、その”迎えの舟”を、少し離れた沖合に見ながら、「いつか皆、あの舟に乗って逝くんだよ・・・。」と、年老いた親を連れて、波打ち際を、ゆっくりと歩くようなもの・・・。

ふとそんな気がしている。

例えそうだとわかっていても、不意に大きな波が押し寄せると、足下を掬われ、そのまま父の身体が沖合に流されてしまうのではないかと、慌てて、その腕を掴んでしまう。

体勢を崩し、尻餅をついている父を抱え上げてしまう。水に濡れて、風邪を惹かないかと心配してしまう。

そして、沖合の舟が、「近づいていないか?」と、思わず水面を振り返ってしまう。その度に「良かった・・・、まだ、大丈夫だ・・・。」と、胸をなで下ろしてしまう。

でも、時には、その岸辺に座り込み、次々と打ち寄せる波に、いい様に打たれるがまま、全身、びしょ濡れになりながら、ひさすら理不尽なダダをこねられると、その手を離したくなる時もある。

「そうか。そんなに言う事を聞かないなら、そこにいればいい💢」

次に確実に来るであろう、大きな波に攫われて、”迎えの舟”に乗ってしまえばいい!!

逝っておしまいなさいっ!! さいならぁ~!! 後は知らんぞっ!!

・・・・・・・と、思い切り手を離して背を向けた瞬間から、やっぱり振り返って、慌てて手を引きに走ってしまう。

そしてグダグダになりながらも、手を引いて抱き起こした瞬間の父の笑顔たるや・・・。

”ち。また手を引いてしまった・・・。”

少し沖合に遠のいた”迎えの舟”に、苦笑することしきり・・・。

「今度、大きな波が来た時には!!!」と、何度、”覚悟”を決めても、いざとなると、その手を離す事が出来ない。もう、離してもいい頃合いなのに・・・。

その繰り返しだ。

だったら、その岸辺から離れれば良いのに、それは出来ない。何故ならもう、”迎えの舟”が、ハッキリと見えているのだから。ここで待ち、見送ってやるしかない。

時に穏やかなさざ波を眺め、時に、小さな波に戯れながら、出来れば、迎えの舟が、穏やかに、向こうから、ゆっくりと近づいて来てくれる事を、待っている。

「名残惜しい」という名の”愛”と供に・・・。




き・・・決まった・・・今夜は974文字で・・・
BGMまで完璧だ🩷
このままそぉーとしておこう・・・。(小声)

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