#124【育爺日記Eps.26】爺とディサービス①
22年10月、父は2本目の「冠動脈カテーテルステント手術」をクリアし、予後を看ながら、11月から週2回「ディサービス」に通う事になった、
当時は、「要介護2」で、術後の「せん妄」をまだ引き摺っている状態。
3ヶ月前に「老々介護」が崩壊し、母と離ればなれになって、環境が激変し、満身創痍のどん底で、相当にしんどかった時期だ。(私も一番、しんどかった。)
「認知症の四季」で言えば、「春」から「過酷な夏」へ移行してしまうかどうかの瀬戸際だった。
「お父さん、来週から週2回、ディサービスへ行こうよ。」
「なんで?俺がいると”邪魔”だからか?」
その頃の父は、まるで”手負いの狼”の様に、とってもセンシティブな状態。
BPSD周辺症状に代表される「物獲られ妄想」ではなく、その反対の「捨てられ妄想(邪魔だと思われている)」とか「嫌われ妄想(自分は嫌われている)」からの、「誰かが弱った自分を攻撃しにやってくる。」という「被害妄想」に苛まれていた。
"信じられるのは、Ilsa子しかいない・・・。"
"俺を護ってくれるのは、llsa子しかいない・・・。"
そうハッキリとは言わないが、父の私への依存度は極度に上がり、何をするにも、私の後ろへビクビクと隠れる様に、私以外の人間を遠ざけるようになっていた。
私の外出を不安がり、私は万事、身動きが取れない状態に陥っていた。
私自身も、父が「要介護2」から、母と同じ「要介護3」へ、そして、母と同じ様に、BPSD周辺症状が悪化して、「壊れて行ってしまうのでは・・・。」と、気が気ではなく、身も心も、常に「厳戒態勢」で、例え数分でも家を空け、父のそばから離れる事が、正直、恐くて、どうしようもなかった。
父を引き取り3ヶ月、慣れない「在宅介護」は、瞬く間に煮詰まって、焦げ付き始めていたのである。
”このままでは、llsaさんが、ヤバい。潰されてしまう。”
そう心配してくれた父のケアマネが、早々に「ディサービス」プランを推してくれた事もあり、思い切って、利用することにした。
「お父さんが”邪魔”とか、そういう理由じゃないよ。
お父さん、2回も大きな心臓の手術を受けて、体力や筋力が落ちているでしょ?自宅では、中々、ちゃんとしたリハビリできないから、理学療法士さんとか、作業療法士さんとか、専門の先生についてもらって、リハビリしよう!という企画ですねw」
「うん・・・。俺、2回も心臓の手術したの?いつ?」⬅️覚えてないw
「9月と、つい2週間前w お父さんの心臓の血管にはね、今、ステンレスのほっそい管が2本、入っているんだよ。それがね、順調に身体に馴染んでいく為に、専門のリハビリが必要なの。それにお父さん、右足に麻痺があるでしょ?それもさ、リハビリすれば、もう少し良くなるよ。」
「そうなんだ・・・。じゃ、俺がH子みたいに、頭、おかしくなっちゃったから、そういう施設に行くわけじゃないんだね?」
「違うよ。むしろ、お母さんみたいに、酷くならないように、行くんだよ。」
「そうか・・・。ずぅーと行きっぱなしなの?ここに帰って来られるの?」
「もちろん、帰って来られるよ。朝9時から夕方4時までだから、終わったら、バスが送って来てくれるんだよ。」
「じゃ・・・行ってもいいよ。自分の身体の為だもんな🩷。」
「そうそうそうそうw」⬅️内心、”シメシメ🩷”であるw
こうして、父の「ディサービスデビュー✨」が決まった。
「介護とは戦略だ!!」を掲げ、その「トライ&エラー」を書き綴ってきた【育爺日記】、ディサービスの利用は、まさに、”介護戦略”の最たるもの。
今回は、その顛末をシリーズで書いてみようと思う。
今までの【育爺日記】は、マガジンにておまとめ中。⬇️
2022年の夏、「老々介護」崩壊!!
その顛末は、こちらをご覧下さい。⬇️⬇️⬇️