見出し画像

#161【介護雑記】海外に「寝たきり老人はいない」という噂は本当か?!

どうやら本当らしいw

”どんなマジックを使っているのだろうか?もしかして、「寝たきり」にならない為のマル秘リハビリワークがあるのだろうか?それとも食生活??どんな認知症予防をしているの??”

なんて興味を持たれた方も多いと思う。

しかし、残念ながらこれは、特別なリハビリをしているわけでも、認知症予防をしているわけでもない。

「寝たきり高齢者」の定義の違いにある。

日本での「寝たきり高齢者」とは、その多くが、”人工栄養〔経管栄養(経鼻,胃瘻いろう)、静脈栄養〕で延命され、寝たきりになっている高齢者”のこと。

そして、その多くが、「認知症」を発症している高齢者である。

海外では、認知症を発症している高齢者に「人工栄養〔経管栄養(経鼻,胃瘻いろう)、静脈栄養〕などの延命措置は行われていない。

つまり、「海外に比べて、日本には寝たきり老人が多い。」という事象は、「日本ほど、認知症を発症している高齢者に延命措置を施術している国はない」ということなのだ。

病院または自宅のベッドで、痩せ細った身体に何本ものくだを繋がれて、かすかな意識と供に、息をしているだけの高齢者は、海外にはいない。

いるとすればそれは、高額な治療費を支払える富裕層の人達に限られる――― 。


日本医事新報社のWEBサイトに、大変興味深い記事がある。

北欧では寝たきりや胃瘻いろう患者が少ないって本当?その理由は?【QOLを重視した人生観や医療費削減の方針などのため】

【 質問 】
高負担高福祉国家として知られる北欧諸国では、寝たきりの高齢者や胃瘻いろう患者がほとんどおらず、誤嚥性肺炎ごえんせいはいえん治療などもあまり行われないと聞きましたが本当ですか?これは、国家経済的理由、宗教や人生観によるものでしょうか。(京都府 I)

本記事より抜粋

【 回答者 】:
宮本礼子 (桜台明日佳病院認知症総合支援センター長)
宮本顕二 (労働者健康福祉機構北海道中央労災病院院長)

2007年に,スウェーデン(ストックホルム)の高齢者介護施設を見学しました。日本のように人工栄養で延命され,寝たきりになっている高齢者はいません。

案内してくれた老年科医師は,「スウェーデンでも高齢者が食べられなくなると点滴や経管栄養を行っていましたが,ここ20年のうちに行わなくなりました。今は,点滴や経管栄養を行わず,自然な看取りをします。私の父もそうして亡くなりましたが,亡くなる数日前まで話すことができて,穏やかな最期でした」と話しました。

点滴もしないことに驚くと,「ベッドの上で,点滴で生きている人生なんて,何の意味があるのですか」と,逆に質問されました。

スウェーデンで終末期高齢者に濃厚医療を行わない最も大きな理由は,このようなQOLを重視した人生観が形成されているためだと思います。

また,終末期高齢者に人工栄養を行うのは,非倫理的(老人虐待)という考えもあります。

宗教との関係について同医師は,「昔は人工栄養をしていたことから,宗教は関係ないはずです」と言っていました。

本記事より抜粋

2番目の理由は,高齢で食べられなくなった人に人工栄養を行うことは医学的に勧められていないためです。

今から15年前のThe New England Jour-nal of Medicineのレビューに,進行した認知症患者には経管栄養を勧めないとあります。米国静脈経腸栄養学会や欧州臨床栄養代謝学会も,認知症の高齢者に胃瘻いろうは適応されないとしています。

日本で経管栄養を行い,寝たきりになっている高齢者の多くは認知症です。

本記事より抜粋

3番目の理由として,高齢者ケア関連予算の削減があります。

スウェーデンでは,高齢化と金融危機により社会保険財政が逼迫し,1992年に医療・保健福祉改革(エーデル改革)が行われました。約540の長期療養病院が介護施設に変わり,入所者はそこで看取られるようになりました。

日本のように病状に応じて,施設や病院を転々とすることはありません。たとえ入院しても,短期間で施設に戻ってきます。

無理な食事介助を行わず,食べられなくなっても人工栄養を行わないので,短期間で亡くなり,寝たきりになりません。そのため,誤嚥性肺炎の発症も少ないのです。たとえ肺炎になっても入院することはなく,訪問診療の医師から内服薬が処方されるのみです。静脈注射は行われないため,日本にいれば助かる人も,この国では亡くなっている可能性があると思いました。

人工栄養で延命されたくないという国民の要望と,高齢者にかかる医療費を抑制したいという政府の方針が一致し,スウェーデンの現在の状況が生まれたのだと思います。

本記事より抜粋

回答者の宮本礼子氏は、江別すずらん病院・認知症疾患医療センター長であり、「日本尊厳死協会北海道支部長」でもある。

宮本医師のレポートを読んだ私は「認知症は、人が自然になるべく苦痛が少なく穏やかに最期を迎えられる為の生体的プログラムなのだ」と感じ、「母の終末期には、延命治療はしない。」と決めた。

その事については、以前、noteに綴っている。⬇️⬇️⬇️

なので、母が「誤嚥性肺炎」を引き起こし、病院に入院する事になった時には、「ついに、”迎えの舟”に乗る時が来た。」と察知し、延命処置は断り、兼ねてより、施設の管理者、ケアマネと打ち合わせた通り、ひとまず、熱を下げる、炎症を抑えるなどの医療措置のみをしてもらい、容態が小康状態になった時に病院から施設へ戻し、後は施設と連携している在宅医療チーム主導の下、「緩和ケア」のみを行い、最期は、施設のスタッフと私達家族に見守られ、本当に、自然に枯れる様に穏やかに旅立った。

「誤嚥性肺炎」を発症してから、わずか1ヶ月後の事だった。

🔷🔷🔷

母の終末時、施設に見舞いに行った時、ベッドに横たわる母に、
「お母さん、わかる?お母さんは今ね、具合が悪くてね、”病院に入院”しているんだよ。」と話しかけると、なんと、それまで固く目を閉じていた母が、目を開けて、ホッとしたように微笑んだ。

「お母さん、もう少し元気になったら、迎えに来るからね・・・。」

そう言うと、母は、声にならない声で、小さく、でも、はっきりわかるように、「ありがとう。悪いわね・・・。」と言って、うなずき、微笑んだ。

それは、明らかに正気の・・・、機嫌の良い時の母だった。

翌日、その約束の通り、私は葬儀社の搬送車を連れて、母を迎えに行った。


これは、介護者の「死生観」にも左右される、とてもセンシティブで重大な事案なので、一概に決めつけて述べる事は出来ないが、私自身は母に「延命措置」をしなくて良かったと思っている。この点に後悔はない。

今でもトラウマになっている程、苦しめられ、悩まされた母の認知症だったが、結局は、その「認知症」が、最後は、母を穏やかに”迎えの舟”に乗せて、連れて逝ってくれたという事だ・・・。

私が後悔しているのは、「認知症」が、”そういった性質を持つ疾患”だという事を、もっと早く知っていれば、母に、もっとずっと優しく、穏やかに接してあげられたかも知れない。

”そうすれば、母も、人生の終末に、あんなにこじれなかったかも知れない・・・。”

そう思うこと。

私にとって、父の「在宅介護」は、そのリベンジにある。

父がもし、認知症が進行しても、もう、ひるまずに、のんびり付き合ってやりたい。父が、最後まで穏やかに安心して、”迎えの舟”に乗り込めるように。

🔷🔷🔷

現行の医療体制では、認知症を発症している患者で、延命措置を望まない患者の行き場所は限られる。それは同時に、認知症を発症すると「安心して死ねる場所がない。」という事を意味している。

認知症を発症した親を、「”寝たきり老人”にするかしないか?」は、本人ではなく、主治医でもなく、最終的には、介護キーパーソンを中心とする家族の意思決定に委ねられる。

親が認知症だと確定したら、そこまでを勘案して、介護にあたるべきだと私は考えている。

だから、知識は武器。
介護とは、命を看取る為の戦略なのだ。



いいなと思ったら応援しよう!