#45 老々介護の果てに。~母編Ⅰ~
父が救急搬送された夜、母は眠剤を飲んでいたはずなのに、一睡もしていなかった。病院から実家へ戻ると、母の側には、末弟ではなく、長男のTがかけつけていた。
父がICUで緊急処置している間、私達姉弟は、両親の介護用に開設したグループLINEで、絶えず連絡を取り合っていた。長男Tが末弟Sと、母の介護を交代したのも、打ち合わせ通りだった。
LINEの中では、子供のいない長男夫婦から「お母さん、ウチで預かろうか?」という提案もあったが、母は、もう私達家族では「看切れない」所まで症状が進んでいる。
母が「認知症」だということは当然、姉弟間で情報共有はしていたものの、たまの休みにしか顔を出さない弟達は、状態の良い母の姿しか知らない。
母もまた、そういう姿しか弟達には見せなかった。私も、母の症状について、詳しい事は弟達には伏せていた。何だか「母親の悪口」を言う様で気が引けたからである。
しかし、認知症が酷くなっているというのは、さすがに彼らも気づいていたようだ。私から「お父さんの入院を機に、お母さんは施設へ預けようと思っているが、どうか?」と提案すると、長男も末弟も「姉貴に任せるよ。」と言ってくれた。
幸い日曜日だった事もあり、その日の夜は、長男が実家へ泊まって母を看てくれる事になった。
翌朝、月曜朝7:00、長男と介護を交代。
たった一夜の介護でヘベレケ状態になったまま、長男は仕事へ出掛けた。
午前10時には、末弟がテレワーク調整にしてくれて、チャリで実家に到着。後は末弟に任せ、私は、いよいよ、この時をもって、市役所に両親の『介護申請』と同時に『母の緊急保護案件』に挑むことになる。
今まで経験した、どんなプレゼンよりも、憂鬱な案件だ・・・。
夕べの今日で、資料もろくに作ってはいない。だが、やるしかない・・・。
「大丈夫w大丈夫w姉ちゃんなら、きっとイケるっ!!」
”あのな・・・・・・。(コイツは、こんな軽々しい男だったっけ?!)”
よくわからない末弟のサムズアップに見送られ、一路、役所へ。
ポイント的には、母の症状が特老やグループホームの入居に必要な『要介護3』をクリアできるかどうか。そしてもうひとつは、母の入居施設探し中に、コロナ禍3年目で、それまで、滅多に空きが出ることはなかった、高齢者施設にボロボロと”空席”が出て来ているという情報だ。心苦しくはあるが、その空席に母を滑り込ませられるかどうか・・・。
市民課の窓口は、相変わらず混んでいたが、介護福祉課の窓口は比較的空いていた。実家から役所までは、なんと徒歩5分。小学生の頃は、役所の噴水や広い芝生庭園、駐車場が遊び場だった。
歩いて5分なのに、この窓口に来るまで、7年かかった・・・。
ICUにいる父には、まだ伝えていない。病棟はまだ厳重なコロナ下体制が施行されている。面会はできない。事後報告になる。
”それはまた後で考えるか・・・。今は、この案件に集中。”
「すいません。父と母の介護申請をお願いしたいのですが・・・。」
介護福祉窓口へ座ると、私は、父が昨日、心不全を起こし救急搬送で入院になったこと、母が「アルツハイマー型認知症」の診断を得ており、24時間の見守りが必要な、深刻な周辺症状まで進行していること、ずっと、老々介護であったこと・・・。
持っているネタは、全て正直に話した。ビジネスと違って、駆け引きはなし。しかし、父と母、そして、私達介護者の命運がかかっている。
職員の顔色はどんどん変わっていった。
そして、介護申請をしても、直ぐには要介護度の判定は下りないのは、承知しているが、その間、『母を緊急で保護してくれる施設はないか?』と、職員に相談した所、直ぐに、地域介護包括センターの担当へ繋いでくれた。
「今、地域包括支援センターの○○さんに、緊急で保護が可能な介護施設を探して頂いてます。これから、そちらに行けますか?」
「はい!! 直ぐに参ります!! ありがとうございます!!」
”よしっ!! ”
私は大きな手応えを感じながら、地域包括支援センターへ急いだ。
センターへ到着すると、ベテランの女性担当者さんと早速面談。
「是非!!お願いします!!」
私は藁をも掴む思いで、即答した。
「ですが・・・、ちょっと一点、実は、隣町の施設なんです・・・。
ただ、お話をお伺いして、お母様の体調を考えると、その施設が最適かと。市が違っていても、”広域”で連携していますので、介護保険は使えます。」
「いや、隣町でも大丈夫です! 何とか、お願いしますっ!」
「わかりました。では早速、押えますね。。。」
やっ・・・た・・・。
しかも、なんと、その隣町の施設は、父が入院している病院の直ぐ近所ではないかっ!! 父に着替え等届けがてら、母の様子も見に寄れるっ!!
なんという”ミラクル”!!
地域包括支援センターから連絡を受けた「小規模多機能型居宅介護施設」の管理者さんが、その日の夕方には母と面談、翌日、母はその施設へ身を寄せることが決まった。
7年、悩んだ案件が、たった半日で手配できた・・・。
ホッとした反面、もっと早くに相談するべきだったと痛感した。
あぁ、これでひとまず、母の介護の心配はなくなる。
父の容態だけに集中できるな・・・。
さて、次の課題は、明日、どうやって、母を、隣町の介護施設まで”護送”するかだ・・・。
これには末弟から、ある”妙案”が出た。
私達は、しばらくその作戦会議をした後、解散となった。
その夜は、私が実家に泊まる事となった。
”これが、母と過ごす生涯で最後の夜になる・・・。”
そう思った。
そう思ったら、ホッとした・・・。
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