#112【介護雑記】ちょっと考えて欲しい。何の為に施設にお願いするのか?
まず、読んで頂きたい記事がある。⬇️⬇️⬇️
更に、この女性経営者(61歳)には、酷いパワハラ、モラハラが、もれなくセットで付いている。
介護施設内での「虐待」は、真実なのか、そうでないのか?
この女性経営者は、「善」か「悪」か?
そういった、一般的な事案を議論したいわけではないし、この”鬼婆”を吊し上げたいわけでもない。(いや、書いてる時点で、それも1部認めるw)
ただ、この施設の利用者の家族介護者(介護キーパーソン)や、ケアマネは、何を思って、この施設を選択したんだろうか?
・「認知症」のBPSD症状をこじらせて、看切れないないからか?
・低予算で入居できたからか?
・身寄りがないから、どうでもいいと?
・施設に入れてしまえば、どうでもいいと?
それが透けて見えるのが、私は、腹が立つ。
こういった、それこそ、”姥捨て山の鬼婆”みたいな介護施設経営者を作ったのは、もしかしたら、「介護」や「認知症」に対して、無知で無責任な家族介護者達なのかも知れない。
「認知症患者」というのが、どれほどの”バケモノ”になるか、私は、母の事例でよく知っている。時には、殺意を感じる程に。
でもそれは、本人も必死だからさ。
もう医者でも治せない病に侵され、壊れながら朽ちていく自分自身を、彼ら(彼女)らは、ちゃんと”感じている”。「認知機能」が低下していても、その分、精鋭化された感性で、彼ら(彼女)達は、”自分の命の危機”を感じている。
不安で不安で仕方ない。(誰だって、そうだろう?)
だから、暴れる。信じられないような暴言も吐く。毒もまき散らす。
そうやって、「助けてくれ!」って。「まだ死にたくない・・・。」って、必死に足掻いている。「SOS」を出している。
家族介護者が、それをわかってやらなくて、どうするよ?
家族介護者でなくとも、誰かが、それをわかってやらなくて、どうするよ?
そんなステージにいる人間に、それまで、あれが出来ていない、これが出来ていない、挙げ句は「終活」が出来ていないとか、本人が、認知症で忘れているのをいい事に、ありったけの”人生の罪”を、押しつけ、責め立てて・・・、
どうするのよ?
どんな人生であろうが、人、ひとりの人生が、終わろうとしているんだよ。
その命が、尽きようとしているんだよ・・・。
どんな形であっても、穏やかに、見送ってあげたいと思わないか?
その環境や準備をしてあげたいとは思わないか?
「ここなら、大丈夫だ。安心して。」
「安心していいんだよ。大丈夫だよ。皆が、あなたを見守っているから。」
人生の最期に、そう言ってやりたいとは思わないか?
「介護施設」とは、そういう想いと責任を「第一義」にして選考するもんだ。
そういう家族介護者の想いに、懸命に真摯に、応えてくれる介護施設だって、沢山ある。ケアマネさんやヘルパーさんだって、たくさんいる。
「介護の品質」を担っているのは、介護業界だけじゃない、管轄する行政だけでもない、「介護保険料」でもない、私達、家族介護者、一人一人の意識であり、日頃から「介護は自分事」として、考えて行く国民全体の意識だろうと思う。
今、介護に悩んでいる人にも、
全く介護に関わっていない人にも、届いて欲しい ―――。
「介護」とは、要介護者も介護者も、幸せになる為に、やるものだ。
どちらかを、「不幸」にしてやるもんではない。
<余談> 湯ばぁー婆施設長に失礼だろっ!!w
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