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【瀬島龍三】が、 握り潰したものとは・・・⁉️ ・・「瀬島龍三」と聞くと、「沈黙は金」と頭に浮かぶ。何故だろう・・・? ⁉️🐧⁉️ 瀬島龍三〜尾崎秀実〜ゾルゲ〜瀬島龍三〜尾崎秀実〜ゾルゲ〜

田中清玄から見た瀬島龍三と尾崎秀実「中曽根は付き合う人間を考えろ」 | 偉人は偉人をどう見たか

昭和の怪物・瀬島龍三、編集者が追った「名参謀神話」の虚構とは | 文春は、お嫌いですか?元編集長の懺悔録 | ダイヤモンド・オンラインhttps://diamond.jp/articles/-/258068?page=4

「取材で文春の誰々を知っている
というやつがいたら、必ず疑え」

 ですから田中社長からの質問に、私は「はかばかしい成果がない」という報告しかしませんでした。そのわりに保阪さんは、海外に取材記者までつれて取材に出かけていました。田中さんは首をかしげながら、もっと編集部の情報がほしそうに戻ってゆきます。

 そんなことを繰り返すうちに、瀬島龍三氏にインタビューをすることになりました。保阪さんの著書には二度にわたり述べ八時間のインタビューをしたと書かれていますが、同席したはずの私はその内容をほとんど覚えていません。覚えているのは、蚊が鳴くような小さな声でしゃべる人だなあということ。

そして、もう1つ。これは私の記憶というより、保阪さんが想い出として語ることです。

「瀬島さんが私たちに会うやいなや、『木俣さんという重役が伊藤忠にいますが、親戚ではありませんか?』という質問をしてきました。それに対して木俣さんがサラっと、『取材に行くと知り合いの名前を出す人がよくいるのですが、たいてい隠し事がある人です』といったのは、驚いたというか笑っちゃいました」

 確かに、そんなことを言った覚えがあります。というより、週刊誌時代に「取材先で『文春の誰々を知っている』とか、そういうことをいうやつがいたら、必ず疑え。隠したいことがあるやつだから」と教えられていたので、ついつい出た言葉なのでしょう。

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今の岸田政権には、瀬島龍三のような反日売国だらけの悪寒がする〜‼️🐧💦

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( 画像👆をクリックすると🖥拡大します🔍🐧💦 )

( 下記リンク先の講座PRビデオは、12月29日まで公開です )

世界から恐れられた7人の日本人(ビデオ①)

世界から恐れられた7人の日本人(ビデオ②)

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講座PRビデオで、一番気になったのは、瀬島龍三についてです。瀬島龍三について、下記のような情報を提供したら、やたら怒りまくる人にネットの世界で遭遇した事が過去にあり、ネットの世界で危うく粛清されそうになりました。何が面白くなかったのか知りませんが、それ以来、瀬島龍三の事が更に気になっていました。

でも、丸谷氏の講座によると「瀬島龍三が情報を握り潰した」とのことです。。。やっぱり…と思いました。 今までモヤモヤしていたのが、スッキリしました。

ちなみに、違う意見の者を【粛清】しようと躍起になっていたそのヒトは、なんと親中・親北朝鮮でした…。瀬島龍三について調べると、北朝鮮の権力者ともかなり縁があった人物だったらしいので、その辺も逆鱗に触れた原因の1つかも。🐧💦色んな思想を持った人がいるので、理解するのは本当に難しいです。

講座PRビデオの公開終了後の12月30日以降〜は、少しずつ note に貼ったり・書いたりしていこうかな…と思っています。もし、この手の話にご興味のある方はたま〜にのぞいて👀みていただけるとウレシイです…✍️🐧💦

(メルマガよりの転載です)

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「マッカーサーの参謀」堀栄三陸軍少佐

【大本営特集情報部】
・1913年、奈良県出身
・マッカーサー将軍率いる陸軍部隊の動きと正確な日時を把握
・「マッカーサー参謀」と呼ばれる。
・製薬会社や缶詰メーカーの株価上昇の数ヶ月後に、
    米軍の大規模作戦が始まることを発見。
・襲来する米軍機の数や、その損害数なども正確に把握。
・台湾沖航空戦の嘘の戦果をも見抜く。 ( 瀬 島 隆 三 が 握りつぶす )
・エノラゲイ号の接近面探知。

【敵軍戦法早わかり】
・昭和19年6月、米軍の戦法を科学的に分析した文章を執筆。
・米軍は中国軍とは違うことを立証、直ちに前線部隊に配布。

スパイを使わず、公開情報や電波情報だけで、
敵の動きを正確に察知するインテリジェンスの王道

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欧州や東南アジアなどに散らばった、日本人スパイからの命がけの多くの情報は…、 【 瀬 島 龍 三 】 により、

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大本営の一派が、なぜ電報を握り潰し、連合国の利益のために動いたのか。
それを示す決定的な証拠は見つかっていない。
しかし戦後日本をよく観察すると、政財界の中枢に残ったのは、
連合国の利益になるような不可解な行動をした人物ばかり。
戦 後 、 伊 藤 忠 商 事 会 長  に 上 り 詰 め ・ ・ ・

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数 々 の 要 職 に 就 任 し た   瀬 島   も 、 そ の 一 人 だ っ た 。

一体、彼らは誰のために動いていたのだろうか? 教科書では、数ページほどで終わってしまう大戦末期の歴史、たった1、2行の出来事の中には、先人たちの葛藤や苦悩、ドラマが詰まっており、それが今の日本の基盤になっている。

しかし学校の授業では、ただひたすら「日本が悪いことをした」と繰り返すばかり血の滲むような努力をした先人たちの偉業を、なぜ誰も教えてくれないのか?

占領軍GHQは日本人に「罪悪感」を植え付ける洗脳工作「WGIP」の一環として、左翼的な教育方針をとった。それは「愛国心」を「悪」だとレッテル貼りして、、子供達が日本を嫌いになるように仕向けるもの。「お前のお爺ちゃんは殺人者だ」そんな教育が平気で行われていた。

そのため、小野寺のような大戦の英雄も、電報を握り潰した裏切り者の存在も、、愛国心を育む危険な情報として、表の歴史から葬り去られたのだ。

「 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ 」 オットー・ビスマルク

今の日本が、アメリカへの過度な依存を断ち切り、迫り来る 強大な隣国の圧力に 対抗するには、なぜ日本は大戦に敗れたのか? 何が足りなかったのかを正しく理解し、憲法・法の改正、外交・軍事組織の再編を含めた、数々の戦略・インテリジェンスが必要になってくる。

しかし「賢者は歴史に学ぶ」と言っても、その歴史が戦勝国の思惑で歪められていては、、、


・・・✍️🐧💦・・・

・wikipedia を見ても、本当のことはわからないけど、とりあえず…👇

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瀬島龍三はKGBのスパイ、コードネーム「クラスノフ」
瀬島は1941年の開戦時にはソ連のGRUのメンバーでシベリア抑留中はNKGBのメンバーであった。 1954年米国に亡命したラストボロフNKGB少佐はモスクワ近郊の第7006収容所で日本の共産主義者の将校11名を教育したと述べている。 瀬島と種村が含まれていた。 彼らはソ連に英米との和平交渉を熱心に依頼した大本営本部の中枢であった。 交渉の手土産として日本の領土を日清戦争以前に戻し日中ソの連合を組むことであった。 むろん中国とは国民党政府ではなく中国共産党政権である。 その内容はヤルタの密約でルーズベルトがスターリンに約束したものとほど同等であった。 種村たちはコミンテルンの指示に基図いて戦後の日本処理を考えていたと思われる。 すなわち英米とは決別してソ連型の共産主義国家に日本を変貌させ、しかし天皇制の維持は図るという2律相反する物であった。 日ソが軍事同盟を締結して英米と戦うという図式はスターリンに拒絶された。 

米国も日本の中枢がコミンテルンに乗っ取られソ連に和平交渉を依頼していることは知っていた。 テヘラン会議で議題に上りヤルタ密約でスターリンが最終合意した日ソ中立条約の破棄とドイツ敗戦後3か月での対日参戦が決められた。 ソ連への和平依頼が対日参戦を阻止できるとノーテンキな瀬島たちは考えたらしい。 連合国につくか枢軸国につくか天秤にかけていたスターリンは最終的に英米との共闘を選択した。 

1945年2月の小野寺電はソ連の対日参戦を緊急速報したがソ連との和平交渉の妨害になるとして瀬島たちは握りつぶした。 中ソの共産党政権に日本を売り渡そうと策謀していたからである。 近衛文麿は一早く軍部のこの策謀に気づき天皇に近衛上奏文を提出している。( 👈これは近衛文麿のアリバイ作りだそうです 🐧💦  ) 戦後の天皇制護持は英国王室から約束されていたという。 近衛が組閣中に感じた不思議な力は日中米を乗っ取ったコミンテルンの1919年の大会で採択された戦争計画であった。 

蒋介石に日本との和平交渉を認めず日本を泥沼の戦争に引きずり込み、最後に日米を激突させ民主主義の日本を消滅させる計画であった。 この計画に積極的に協力した陸海軍の軍人がいたのである。 ‼️昭和天皇が瀬島を売国奴と罵った由縁である。

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・瀬島龍三は「大本営参謀」「シベリアでの抑留生活」「伊藤忠商事の幹部」「行財政改革の立て役者」と、4つの時代を生き抜いた「昭和の怪物」だった。だが、死後のいまでも謎に満ちているのが、前半生の部分だ。「ソ連(現・ロシア)のスパイだったのでは?」との疑念が解けないのである。

・初代内閣安全保障室長を務めた元警察官僚の佐々淳行氏(故人)は、著書『私を通りすぎたスパイたち』で、「昭和三十年代、ソ連大使館員の尾行を続けていると、その館員と接触する日本人ビジネスマンがいた。それが瀬島だった」と記している。👍

・日本の敗戦時、関東軍作戦参謀として満州に赴任していた瀬島は、ソ連軍との停戦交渉を担った。ここでも「60万の日本人をシベリアに送る密約を交わした」との説があるが、回想録で否定している。その後、11年のシベリア抑留生活を送ったが、その間、'46(昭和21)年10月には、「ソ連側証人」として東京裁判に出廷。抑留中も過酷な野外労働ではなく室内労働だった。

・ノンフィクション作家・保阪正康氏も疑惑の目を向ける。:「ソ連人が記した『シベリア抑留秘史』がソ連崩壊後に出た時、瀬島は日本語翻訳版の監修を務めて改竄。私がそれを指摘すると『事実を書いて何が悪い』と開き直りました」

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・参謀として、惨敗していたガダルカナルから1万人以上の兵隊を秘密裏に撤退させたという神話があります。確かにそのときの陸軍参謀ではありましたが、年齢はまだ若く、カバン持ちか、書類を整える程度の仕事しかしていなかったはずなのですが、名作戦を立案した参謀と見られています。

・彼はシベリア抑留時代のことはほとんど発言していませんが、シベリアに抑留されて長期間帰国を許されなかったのは事実です。瀬島が最後までソ連の拷問に屈しなかったという伝説になるのは、この長期間の抑留が原因ですが、「実際には瀬島氏は特別扱いされており、そんな苦役はしていないはずだ」という証言がある、といったことがわかる程度の取材の進み具合でした。

・「瀬島さんが私たちに会うやいなや、『木俣さんという重役が伊藤忠にいますが、親戚ではありませんか?』という質問をしてきました。それに対して木俣さんがサラっと、『取材に行くと知り合いの名前を出す人がよくいるのですが、たいてい隠し事がある人です』といったのは、驚いたというか笑っちゃいました」👍

確かに、そんなことを言った覚えがあります。というより、週刊誌時代に「取材先で『文春の誰々を知っている』とか、そういうことをいうやつがいたら、必ず疑え。隠したいことがあるやつだから」と教えられていたので、ついつい出た言葉なのでしょう。👍

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消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い/岡部 伸 新潮選書
https://honto.jp/netstore/pd-review_0625262229.html

この本の著者はもともと産経新聞の記者で最初は自身の出版社から出す予定が、中に書かれている人物が時の政権重鎮などと親しいということでお蔵入りになったとかいうことを聞いています。その人物こそがこの主人公の情報を握りつぶした本人で、かなりの地位にまで上り詰めた人です。佐々さんという危機管理の警察庁の人(浅間事件を指導した)もこの人物は右翼とは言っているが実際はソ連(当時)シンパで情報を流しているので逮捕したいとまで言ったのが後藤田さんが頭を縦に振らなかったということです。もっと読まれてもいいと思うのですが。( 👈 後藤田氏は親ソ連だとか。益々怪しい〜。後藤田〜瀬島〜ソ連? 🐧💦 )

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ヤルタ密約を握りつぶした瀬島龍三はソ連のスパイだった? - 正しい貨幣観を広めよう 経世済民 富国強兵 八紘一宇https://blog.goo.ne.jp/houtouki/e/ecb4083ebe131754db2d61ed53a756e3

ソ連が対日参戦するという「ヤルタ密約」は、実は日本に漏れていた。
小野寺信(まこと)陸軍武官はヤルタ密約の内容を大本営に打電したが、その情報はいかされなかった。
「小野寺電」を握りつぶしたのが大本営参謀の瀬島龍三であった。
瀬島は伊藤忠商事の会長まで上り詰めた人物だ。
瀬島のような「敗戦利得者」たちが戦後の日本に蔓延っていたことをほとんどの日本人は知らない。

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特攻隊に捧ぐ

坂口安吾


 数百万の血をささげたこの戦争に、我々の心を真に高めてくれるような本当の美談が少いということは、なんとしても切ないことだ。それは一に軍部の指導方針が、その根本に於おいて、たとえば「お母さん」と叫んで死ぬ兵隊に、是が非でも「天皇陛下万歳」と叫ばせようというような非人間的なものであるから、真に人間の魂に訴える美しい話が乏しいのは仕方がないことであろう。

 けれども敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは当然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釈するのは決して健全なことではない。

 たとえば戦争中は勇躍護国の花と散った特攻隊員が、敗戦後は専もっぱら「死にたくない」特攻隊員で、近頃では殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまったが、こう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄ぐろうすることにほかならない。もとより死にたくないのは人の本能で、自殺ですら多くは生きるためのあがきの変形であり、死にたい兵隊のあろう筈はずはないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう。我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。

 私はだいたい、戦法としても特攻隊というものが好きであった。人は特攻隊を残酷だというが、残酷なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能ちのう方策を傾けて戦う以外に仕方がない。特攻隊よりも遥はるかにみじめに、あの平野、あの海辺、あのジャングルに、まるで泥人形のようにバタバタ死んだ何百万の兵隊があるのだ。戦争は呪のろうべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然しかし、特攻隊はともかく可憐かれんな花であったと私は思う。

 戦法としても、日本としては上乗のものだった。ケタの違う工業力でまともに戦える筈はないので、追いつめられて窮余の策でやるような無計画なことをせず、戦争の始めから、航空工業を特攻専門にきりかえ、重爆などは作らぬやり方で片道飛行機専門に組織を立てて立案すれば、工業力の劣勢を相当おぎなうことが出来たと思う。人の子を死へ馳かりたてることは怖おそるべき罪悪であるが、これも戦争である以上は、死ぬるは同じ、やむを得ぬ。日本軍の作戦の幼稚さは言語同断で、工業力と作戦との結び方すら組織的に計画されてはおらず、有力なる新兵器もなく、ともかく最も独創的な新兵器といえば、それが特攻隊であった。特攻隊は兵隊ではなく、兵器である。工業力をおぎなうための最も簡便な工程の操縦器であり計器であった。

 私は文学者であり、生れついての懐疑家であり、人間を人性を死に至るまで疑いつづける者であるが、然し、特攻隊員の心情だけは疑らぬ方がいいと思っている。なぜなら、疑ったところで、タカが知れており、分りきっているからだ。要するに、死にたくない本能との格闘、それだけのことだ。疑るな。そッとしておけ。そして、卑怯ひきょうだの女々しいだの、又はあべこべに人間的であったなどと言うなかれ。

 彼らは自ら爆弾となって敵艦にぶつかった。否いな、その大部分が途中に射ち落されてしまったであろうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の栄誉ある姿と見てやりたい。母も思ったであろう。恋人のまぼろしも見たであろう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向って歩むのだもの、聖人ならぬ二十前後の若者が、酒をのまずにいられようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにいられようか。ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人という。唄うたう必要はないのである。詩人純粋なりといえ、迷わずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷う姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね?

 我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の偽懣ぎまんとカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。

 私は無償の行為というものを最高の人の姿と見るのであるが、日本流にはまぎれもなく例の滅私奉公で、戦争中は合言葉に至極簡単に言いすてていたが、こんなことが百万人の一人もできるものではないのである。他のためにいのちをすてる、戦争は凡人を駈かって至極簡単に奇蹟きせきを行わせた。

 私は然しいささか美に惑溺わくできしているのである。そして根柢こんてい的な過失を犯している。私はそれに気付いているのだ。戦争が奇蹟を行ったという表現は憎むべき偽懣の言葉で、奇蹟の正体は、国のためにいのちを捨てることを「強要した」というところにある。奇蹟でもなんでもない。無理強いに強要されたのだ。これは戦争の性格だ。その性格に自由はない。かりに作戦の許す最大限の自由を許したにしても、戦争に真実の自由はなく、所詮しょせん兵隊は人間ではなく人形なのだ。

 人間が戦争を呪うのは当然だ。呪わぬ者は人間ではない。否応なく、いのちを強要される。私は無償の行為と云いったが、それが至高の人の姿であるにしても多くの人はむしろ平凡を愛しており、小さな家庭の小さな平和を愛しているのだ。かかる人々を強要して体当りをさせる。暴力の極であり、私とて、最大の怒りをもってこれを呪うものである。そして恐らく大部分の兵隊が戦争を呪ったにきまっている。

 けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として否応いやおうなく強要せられた。だが、その次に始まったのは彼個人の凄絶せいぜつな死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美を以もって敬愛したいと思うのだ。

 強要せられたる結果とは云え、凡人も亦またかかる崇高な偉業を成就じょうじゅしうるということは、大きな希望ではないか。大いなる光ではないか。平和なる時代に於て、かかる人の子の至高の苦悩と情熱が花咲きうるという希望は日本を世界を明るくする。ことさらに無益なケチをつけ、悪い方へと解釈したがることは有害だ。美しいものの真実の発芽は必死にまもり育てねばならぬ。

 私は戦争を最も呪う。だが、特攻隊を永遠に讃美する。その人間の懊悩おうのう苦悶くもんとかくて国のため人のためにささげられたいのちに対して。先ごろ浅草の本願寺だかで浮浪者の救護に挺身ていしんし、浮浪者の敬慕を一身にあつめて救護所の所長におされていた学生が発疹はっしんチフスのために殉職したという話をきいた。

 私のごとく卑小な大人が蛇足する言葉は不要であろう。私の卑小さにも拘かかわらず偉大なる魂は実在する。私はそれを信じうるだけで幸せだと思う。

 青年諸君よ、この戦争は馬鹿ばかげた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った「愛国殉国の情熱」が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。

 要求せられた「殉国の情熱」を、自発的な、人間自らの生き方の中に見出みいだすことが不可能であろうか。それを思う私が間違っているのであろうか。



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          な ん で も か ん で も 

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元財務官僚、ガンバレ〜‼️  緊縮〜増税〜財務省の嘘を暴いてください。

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東大医学部の医者、ただただ… ((((;゚Д゚)))))))

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