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【自己基盤強化の旅】中学受験シーズンに思う
※ミッドライフ・クライシスに陥った「軸」を自己基盤講座の受講等で強化中のバリーが、考えたことをつらつら書く不定期のシリーズです。
埼玉県内の中学入試がほぼ終了し、次の舞台は千葉に移ったところ。
一万人を超える小学生がひとつの学校(それも複数)に集まる様子を報道で見た方もいることでしょう。
わが子も昨年、確かにその渦の中にいたのですが、あの朝のことがありありと思いだせる反面、過ぎ去った遠い過去と割り切っている自分もいます。
わが子は現在、始業時間の30分前に登校するほど毎日を謳歌しています。
休みの日には友達とカラオケやテーマパークに出かけ、科目ごとに凸凹ありつつ成績もそれなりに健闘。
そんな青春まっただ中の娘は、昨年、第一志望校に合格できませんでした。
レベルが上だったので仕方がなく、上記の通り、本人に合った学校に進学して何の問題もないはずです。
しかし今さら振り返って、「私ももっと〇〇していたらひょっとして合格できたのではないか」と思うことがあります。
他人がそんなことを言うのを聞いたら、負け犬の遠吠え以外何物にも聞こえません。
それは単なる空想であり、自分ができなかったことへの言い訳だと理解もしています。
どんなに時間があっても体力があっても、そして知力があっても、私にはできなかったと思います。だって、過剰なサポートをしないのを選んだのは私だから。
それに、私の力は娘の合不合には大きくは影響しないはずです。
こんなことを考えるのは、娘に対して失礼だし無意味です。
ある日の自己基盤講座で、私はこのことを講師や他の受講生の前で話しました。
講師には「娘さんにとっては大きなお世話」だと言われました。
私は自分のことがうまくいかないから娘に固執しているだけで、過去を振り返って後悔しているだけ。ああ醜い!
「あなたは頭が暇なのよ」。
そのとおりで、私は考えることがなくなると余計なこと、たいがいネガティブなことを考えがちです。
子どもたちの受験という、頭の上の重しが取れて、自分も家族も大きな故障はなく、離れて暮らす親もなんだかんだ一応元気に暮らしている。
今が一番幸せな時期だと充実感に浸りながら仕事終わりに電車に乗ることもある。
それなのに、ウジウジしてしまうのはなぜでしょう?
他人といろいろな比較をしているからなのですよね。
「コーチと一緒に、自分にフィットする、ワクワクする未来の目標を考えて、自分の人生を生きなさい。」
というのがその日最後のアドバイスでした。
さっそくコーチに伝えて、いろいろな目標を手あたり次第出すのに付き合ってもらいました。
すると今度は、「こんな小さいこと、目標って言わないんじゃないかな」という思いが頭をもたげてきました。
コーチは、「大きい小さいなんて関係ないですよね」と言ってくれました。
やらなければいけないこと、やったほうがいいこと、ではなくて、私がやりたいことを片っ端からやる2025年にしたいです。
最近、大きな目標ができました。
「80歳でも元気に海外旅行に行く。そのために健康を維持する。」です。
ここ数年、年齢と共に生活習慣病と言える数値があちこちに見えるようになってきて、もちろんそれを克服したいと思いつつ、どこか仕方ないと諦めてもいました。
それが、会社の同僚(推定70歳オーバー)がウキウキと次の旅行先を予約したと話してくれる姿を見て、これだ!と思ったのです。
先日、昔のノートを読んでいたら、「2024年ごろ、海外に縁があることで転機がある」と、数年前にとある鑑定をしてくれた人から言われたことが書いてありました。
この目標はひょっとしてその一歩かも…?