「土地鑑って、結局なんなのよ」今市事件(7)
「勝又受刑者は、平成6年8月から平成9年4月までの間今市市内に住んでおり、被害女児が通っていた小学校と、近くに隣接する中学校に通学したことがあり、拉致現場付近の土地鑑があった」
土地鑑について最高裁では以下のように争われた。まず誘拐現場についてだ。
弁護側は「被告人がC小学校及びD中学校に在籍したのは、せいぜい約15か月間にすぎず、その間も友達と活発に遊び回ることなどを通じて、周辺の土地鑑が養われるような素地はなかったのであるから、拉致現場付近の土地鑑を有していたとする原判決には事実誤認があり、拉致現場付近の土地鑑を有する者は無数に存在するから、被告人に拉致現場の土地鑑があったとして被告人の犯人性を推認することはできない」と主張している。1年ちょっとしか在籍しておらず、台湾出身である勝又受刑者は言葉がほとんど通じなかったため、ほとんど不登校であったからだ。
これに対し検察側は「合計15か月間同じ場所に居住すれば、周囲の地理に明るくなることは当然である上、被告人の供述調書には『今回Aちゃんをさらった細い道を含め、あそこら辺の裏道は、ほぼ全部知っていました』などと録取されており、また、原判決は、被告人が拉致現場に関して土地鑑を有していることは、本件殺人の犯人であることと整合的であるとしているにすぎない」と主張した。土地勘があることはまあ補強材料でしかないと言いながらも「自白」という強力なカードを切っている。これらに対して裁判所は以下のような判断を下している。
「被告人の犯人性に関わる間接事実の一つとして、現場付近に1年以上も通学したことのある被告人に拉致現場に対する土地鑑があった」ことを認定し、
「そのことをもって積極的に被告人の犯人性を推認したものではない」とし、土地鑑があるだろうけど、この事実が直接的に犯人に結びつくわけではない、としたのだ。さらに、遺棄現場については弁護側が進入することが困難、と主張した林道の入り口について裁判所は、
「幅約2.6メートルの舗装道路となっており夜間でも自動車の前照灯で発見することに障害はないものと考えられる」とし、
「被告人の土地鑑では遺体発見現場に到達できないなどというが、同所が山林内であることに照らせば、殺害犯人は、遺体の発見が困難と考えられる場所を求めて走行するうちに結果的に同所に至ったにすぎないと考えるのが相当である」とした。どうやら、遺体遺棄現場は土地鑑関係ないようだ。と言いながらも、
「茨城県内のB院で開催される骨董市に被告人らが月1回の頻度で通っていた際に、第2地点や遺体発見現場に近い場所を通過するものであったことを、被告人の同現場付近に関する土地鑑を示す間接事実として認定し」さらに「Nシステムに勝又受刑者の通行記録と合わせるとさらにその信用度は上がる」としたのだ。どっちやねん。つまりは誘拐現場も遺体遺棄現場も土地鑑はあったと認定されたということに他ならない。
そもそも「土地鑑」とは何なのだろうか。
調べてみると土地カンには「土地鑑」と「土地勘」の2つの言葉がある。実は土地「勘」と土地「鑑」はその意味が少し違う。土地「鑑」は警察用語であり、「その土地のことをよく知っており、周辺の地理に詳しい」という意味のようだ。土地「勘」だと「そこに行けば周囲のことがなんとなく、おおよそ分かる」という意味で、その内容はやや違う。犯罪記事や裁判記録で頻出する用語、土地「鑑」は、おそらく「ある一定の範囲の地域における地形や地理、道路の構造や周辺の家屋・建物の位置などへの理解」という定義と考えられる。
犯罪について調べていると、被告に土地鑑があったか、なかったを検討されている場面はよくある。私はそれとなく「現場の周囲について知ってること」という程度で考えていたが、これだけ使われている割には何を基準としてある・なしを判定しているかがさっぱりわからない。例えば一度でも行ったことがあるところを「土地鑑あり」とは安易に判定しないはずだ。とは言え、自分の住んでいるところですら知らない道や場所は存在する。それでも「土地鑑あり」と判定できるだろうかどうかはかなり怪しい。入念な事前準備をする空き巣やテロリストなどは住んでもないが、目標物周辺の「土地勘がありそう」判定ができそうだ。
そこで調べてみたのだが「土地鑑」については驚くほど資料が少なく、ほとんど何の研究もなされていないことがわかった。「土地鑑」は元々は警察で使われていた隠語であり昭和30年代からあった言葉ではあるが、特別な定義を持っていないあやふやな用語である。散々調べたが何もない上に、かなり適当な意味合いの用語であることがわかり、これから私にとっての「土地鑑」は「山勘」とか「当て勘」と同じぐらいあやふやなモノに成り下がってしまった。ただし、土地鑑はどうも主観で評価されるもののようだ。
死体遺棄事件や殺人事件で散々議論されているにも関わらず、土地鑑について何一つ数値化もされず判別基準もない。データもエビデンスもないのに有り、なしが判断されている。もしかしたら当局には「土地鑑を判断できる認知科学特殊技官」でもいるのだろうか。
では、土地鑑(らしきもの)はどのように作られるのだろうか?土地鑑(らしきもの)が形成されるまでどのぐらいの時間を要するのだろうか?
土地「鑑」についての研究は著しく少ないため、地理記憶や脳科学、認知科学についての研究などから「土地鑑」について考えてみたい。
どうも「土地鑑らしきもの」は地理に関して生活や行動を通じて知覚し、経験し、記憶を蓄積するようで、一度形成されると永続的に記憶しているものらしい。
また、経路情報が多ければ多いほど最も効率の良い移動手段を取ることができるようで、さまざまな方法で何度も繰り返すことで土地鑑の確度は上がるようだ。どうも「土地鑑らしきもの」は、おそらく「空間記憶」とされているもので、目的地や自分の現在地点を特定する認知能力を指すと考えられる。
これらの空間記憶を発達させるためには、一定ルートを反復して辿るか、地図を利用するかでその発達の仕方が違うようだ。
これらの「空間記憶」は海馬の機能によるものであることがわかっている。海馬は空間的関係や短期記憶を処理する大脳辺縁系の一部であり、人間が空間を移動するとき、自分が今どこにいるかを把握するために海馬が働いている。海馬は記憶と密接に結びついており、記憶は体験や経験によって形成される。
とすれば少なくとも、土地鑑を形成するためにはそのフィールドを自分で移動することが必要なようだ。一度でも行ったことがあるところでなければ、「土地鑑」は形成されないということになる。ある場所における「土地鑑らしきもの」を形成するためには、何度か反復して同じルートでその場所を訪れる必要があるようなのだ。とすると、近くに住んでいただけでは土地鑑は生成されないということだ。
他にも、脳の障害により空間認知に障害が出ることを「地理的障害」というが、この症状は「土地鑑」に興味深い示唆を与える。
地理的障害は、大きく「街並失認」と「道順障害」の2つに分けられる。「街並失認」とは、すでに知っている建物などの理解が困難となり道に迷う症状であり、「知っているがわからない」という奇妙な現象が起こる。
他にも空間的位置の認知には、2つの座標系があることが知られている。1つは自分を中心として対象の位置を相対的にとらえる「自己中心座標系」と、対象間の方角や距離などの絶対的情報によって位置をとらえる「他者中心座標系」である。道順障害では、目的地が自分から見てどの方角・距離にあるか定位できず、自己中心座標系の障害が認められる。
これらは、空間認知が記憶と「モノがどの辺にあるのか」と「俯瞰して自分はどの辺りにいるのか」によって自分と目標の位置を認識していると考えられる。つまりは、「自分の位置」と「記憶上のランドマーク」、さらに「目標物を取り巻くその他のランドマーク」がないと土地鑑は形成されないと言うことになる。
これらをまとめると「土地鑑らしきもの」は、「生活や習慣のための行動により行った移動を頻回に重ねることでより詳しくなり、地図をみたり見聞きによっても作られる主に体験や経験を元にした地理的知識」ということになる。
そう考えると、何だか腑に落ちない。
どれだけ地元の人間だとしても知らない道なんか幾らでも存在するし、「あの辺は人通りが少ない」と「何となく知っている」場所はあるだろうが、実際には行ったことないところなどいくらでもある。それは例えば通りがかりに見たことがある程度だし、人から聞いて知っている程度かもしれない。そんな程度の見識は「土地鑑」に入るのだろうか。たいしたことない認知度でも「土地鑑あり」に入るのであれば三叉路と遺棄現場の土地鑑がある人間なぞ幾らでも存在することになりそうだ。そして捜査機関のいう「土地鑑」がある者を選別しようとすると、遺棄現場であれば林業関係者やバードウォッチャー、霊園関係者にしかならなくなってしまう。
もう一度言うが、「土地鑑」はかなり曖昧で、抽象的な概念である。
さて、「土地鑑」が私の考える通りであれば、三叉路も死体遺棄現場も一度ならず複数回訪れたことがある、つまりは「よく行く場所」「よく通るところ」であったということになる。
目撃者がいなかったため、もしかしたら真犯人にとって三叉路の土地鑑は存在していたのかもしれないが、遺棄現場については結局白骨化することなく発見されており、卓越した土地鑑があったとは言えない。何なら三叉路の土地鑑はあったが、遺棄現場の土地鑑はなかったということにもなる。
遺棄現場は茨城県常陸大宮三美のヒノキ林の中である。遺棄現場は「おおみや広域霊園」という看板を見て右折し、2kmほど行くと現場の山林に入るための左折路がある。そこは車1台分がやっと入るだけの道であり、イノシシ狩りや鳥打ちの名所として地元の人の通行は少なくなく、決して人里離れた山林というわけではないらしい。
遺棄した人物はこの辺りが全く人の往来はないところと踏んだのであれば地元の住民ではない可能性がある。ただし、周辺を知らないとそうそう踏み入るような場所ではないのは確かだ。
土地鑑と遺棄現場の選定から考えると、例えば宮崎勤はことごとく土地鑑のないところで女児を拉致しているし、佐藤宣之も全く土地鑑のないところで少女を拉致している。遺棄にしてもこの手の奴らはそもそも遺体を見つからないように手を尽くしているように見えない。宮崎勤も杉林に放置していたし、飯塚事件でも峠の斜面下に投げ捨て、北関東連続幼女誘拐殺人事件の犯人も河川敷に遺体を放置している。こいつらはコトが終わったら割とどうでもいいのだ。やはり拉致現場も遺棄現場も「人通りが少なく、寂しい場所」ぐらいでしかないのだろう。
一応公判では、勝又受刑者は子供の頃、女児と同じ小学校に通っていたという過去の事実を提示している。しかし、その期間は15ヶ月程度であり、しかも勝又受刑者は台湾出身であり、当時日本語も話せず、ほぼ不登校であった。1995年の秋から6ヶ月、女児が通っていた小学校に通っていたのだが、言葉の問題で教頭が特別学級で対応していたのだ。
遺棄現場についても、近くとされる(20km近く離れているが)骨董市に出店していたのは1994年からで、その当時は台湾出身である母親が出店をしていた。勝又受刑者が一乗院に露天の手伝いをし始めたのは1999年ごろだったが、2000年にトラブルが起こり、それからは出店していない。何なら2000年の時点では勝又受刑者は免許すらも持っていなかった。さらに偽ブランドを扱い始めたのは2009年からで、事件は2005年に起きており、逮捕は2014年だった。
ほとんど現場周辺の土地鑑は皆無に見えるが、一体どこから勝又受刑者の土地鑑があると評価したのだろうか。もうむしろその評価基準を是非教えて頂きたい。