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ひつじが丘@感想文
こんばんは。暑さが日頃から上がってきましたが、
いかがお過ごしでしょうか。
今回の記事は読み終えた本の回になります。
ゆるりとお付き合い願います。
今回の主なターゲット
・読書が好きな方
・知ることに関心がある方
・気持ちの持ち様に悩みがある方
今回取り扱う一冊はこちら
三浦綾子さんの小説 ひつじが丘 を取り扱います。
ストーリーを簡単に説明しますと、北国育ちの迷える成人のお話です。
人間はモノを欲しがる面もあるけれど、最後に求めるモノというのは、案外カタチのないものだったりする。愛とはゆるすこと、ゆるしつづけること。人間の本質に問いかける一冊。
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の女性作家。北海道旭川市出身。旧姓:堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。故郷である北海道旭川市に三浦綾子記念文学館がある。-wikipediaにて
読み終えて
この「ひつじが丘」のストーリー全体は「ーだ。ーである。」の言い切るタイプで話が進みます。
こういった言い切るタイプは読み手を安心させる説得力に長けていて、こういう口調はしばらく読んでなくて新鮮さがありました。
展開にキリストといった宗教っぽさがあるのは致し方ないとして、文字の読みやすさは年代問わず読める作品です。
人間はどこかにカタチのないものを求める面がありますよね。
それは同性の友情なのか、はたまたそれ以上の深い関係になりたいのかはわかりにくいものです。
後半にこういったページがあります。
われわれはともすれば、自分を正しい者のように思い、
人を責め、きびしく裁こうといたします。けれど果たて、神は我々人間に人を裁く権利を与えておりましょうか。
あの聖パウロでさえ、自分を罪人の頭と申しております。
ー中略ー
人の目には、彼(他者)とくらべると、私たち夫婦や娘は、善人であるかのように見えましょう。けれども神は存じであります。神の最もきらいたもうのは、自分を善人とすることであります。そして、他を責め、自分を正しとすることであります。 ーひつじが丘よりー
確かに人間には「我正し」とする面があり、
それを声する・しない で人としての見え方に
疑問を持つ場合があります。
タイトルのひつじが丘は北海道札幌の南にある地名から来ていて、話の中でも”ひつじ”を使った言葉が出てきます。
目の前にあるものばかりに囚われてしまうと、それこそストレイシープ(迷える子羊)になりかねません。
人間はときどき懐かしい物事に戻りたくなる場合があったりするし、本質の人情として捉える事も出来ます。
各々の決めた道を究めて ”やっていて良かった。” と心底思えるあり方がいいです。
まとめ
今回は読み終えた一冊。「ひつじが丘」を取り扱いました。
いかがだったでしょうか?
最後に簡単にまとめます
・この小説は人間の本質に問いかけるような一冊でした。
・文章全体は「ーだ。-である。」で進む。
・ 我正しとすると、天罰を受けてしまうぞという問いかけ。
最後までありがとうございました!
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