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椎名林檎と大衆音楽論(1)J-POPが死んで、椎名林檎が生まれた。
「愛し愛されたいという野蛮な衝動」
椎名林檎
J-POPの死(1989年〜2010年)
みんな好きだね。J-POP。
いつもクラスの話題の中心だね。
昨夜のMステ見た?
見た見た〜
とりあえずMステ観とけば会話に入れる。しかしこんな光景はきっともうなくなっているんだろう。
だってJ-POPはもう死んだのだから。
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J-POPは2010年に死んだ。やっぱり。
グーグル先生がそう言っているんだから間違いない。ここまで明らかだと驚くね。
僕らが愛した「J-POP」はなぜ死んだ?
2010年はなにがあった?
思いつくのはソフトバンクがiPhone独占販売した。
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「情報通信機器の保有状況の推移(世帯)」
「母艦くん」という言葉が一瞬流行ったね。パソコンを持っていない人の代わりにバックアップやアプデしてくれる人を指す。
今でこそスマホの中身を他人のパソコンにバックアップとるとか狂気の沙汰だと思うが。
このようにiPhoneはデジタル機器リテラシーがない層にまでリーチしていたのだから、そりゃ一気に普及するよ。
そして「J-POP」の主戦場だったテレビはというと。
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「テレビ視聴時間推移(2000年~2015年、平日1日あたり、全体・年代別)」
2010年には60代以上を除くすべての世代でテレビ視聴時間は減少する。
2015年には10代・20代のメディア利用時間はインターネットがテレビを抜いてトップになる。
もうMステ見てればみんなの話題に入れる時代は終わった。
こうしてJ-POPは死んだ。
バブルが滅びたのにJ-POPだけが残るなんて滑稽だわ。
しかし死んだのは「J-POP」という言葉であって、音楽市場は死んでいない。
「J-POP」はかつて市場を指す言葉として使われていた「ニューミュージック」や「歌謡曲」が陳腐化、まあダサくなったから新しく作られたのが「J-POP」だ。
ちなみに「J-POP」は洋楽専門ラジオ局だったJ-WAVEで国産音楽を流すために作った言葉らしい。これが1989年のことだ。
ラジオの話は外せない。
87年の電波法改正の影響をうけ全国でニョキニョキとラジオ局の開局ラッシュが起きていた(前出のJ-wave88年開局)。
あたらしく生まれたCDというメディアの市場をどんどん広げたいレコード会社にとって、ラジオの拡大は渡りに船だったし、ラジオ局にしても流せるコンテンツとスポンサードが手に入る、そんなwin-winな関係だった。
バブル期には車を持つ若者が増えてカーラジオはトレンドの受信地になっていく。
J-POPはバブル時代のBGMてして作られた音楽なんだ。
こういった状況から音楽産業の市場規模は異常な勢いで伸びていくことになる。
80年代末からピークの98年ではほぼ二倍だ。
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日本レコード協会のデータからみずほ銀行産業調査部が作成
ところで音楽不況だとしきりに言われるが実際はどうだろう?
確かにソフト販売ベースではピーク時の半分まで縮小しているが、平成バブル期=J-POP時代が異常だっただけで現在の市場規模はバブル以前に戻っただけとも言える。
そして音楽を提供サイドはソフト販売はとっくに頭打ちだとライブ興行に切り替えてきた。
このようにJ-POPとかその最初からバブル時代のセットだったのだ。というか時代性そものだ。
J-POPが死んだのは経済状況もメディアも変わって使用期限が切れたのだ。
ポスト「J-POP」はどこにいる?
しかし「J-POP」に続く言葉が出てきていないのはなぜ?
多分もう出てこない。
だってもう必要がないからだ。この理由はおいおい。
さて、ここまでは長い前置きでやっと本題にはいる。
J-POPの怪物、椎名林檎だ。
J-POPモンスター椎名林檎とマリリン・マンソンの共通するコンセプト
椎名林檎とはなにか?
「『J-POP職人』って自分で思ってるし、本当はすっごい好きな音楽ってこういうのじゃないから、(好きなものとは)乖離してて音楽とは思わない」
あけすけに本人が全部言ってしまったが、椎名林檎とは椎名林檎を提供し続けているJ-POP職人の芸名だ。(J-POP!?死んだはずでは…)
ここで注意したいのは「椎名林檎」は音楽家・椎名裕美子の芸名であると同時にプロジェクト名でもあるのだ。
ところでマリリン・マンソンがバンド名でありつつボーカリストの芸名であるのと同じだ。
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そして両者のコンセプトも共通している。
大衆性だ。ひたすらにポップなのだ。
たいしゅうせい
【大衆性】
一般民衆が親しみを覚えるような性質
マリリン・モンローとチャールズ・マンソン、つまりセックスと暴力、大衆が(もちろん私も)愛してやまないこの二つのアイコンをワガママにくっつけたのがマリリン・マンソンだ。
日本で例えると村上龍+角川春樹=村上春樹みたいなワガママネームですね。まあ村上春樹は本名らしいけど。
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マリリン・マンソンはヒトラーのモノマネ、国旗を燃やす、聖書を破く、おち○ちんをいじるする、パパラッチに鼻くそをなすりつけるなどポップなパフォーマンスに定評がある。
一時はライブの度にキリスト教保守派が抗議というか応援に駆けつけるほどだった。
注目されるための逆張りと言ってしまえばそれまでだが、大衆の関心を引き続けそれを商売にするのは馬鹿にはできない。
つまり大衆の欲望をすくいとってパッケージ化して生産し続ける。これが大事なのだ。
これをポップセンスとよぼう。
マリリン・マンソンは恐怖と憎悪から逆照射することで浮かび上がった大衆の欲望をパッケージ化した。
では椎名林檎は?
正攻法をひたすらやり続けた
'90s総メンヘラ時代のヒロインとしてナプキンをばら撒いた椎名林檎も、オリンピックの演出家をやった椎名林檎も同じ椎名林檎なのだ。
ひたすらポップセンスで真っ向勝負。なにもかわっちゃいない。
もちろん土俵は、そう、僕らが愛してやまない、あそこだ。クラスの話題の中心、昨夜のアレ見た?
そうだよ、あのJ-POPだよ。
Japanesea POP大衆の欲望ular MUSIC?
「J-POP職人」椎名林檎に戻ろう。
J-POPか?Japanese POPular music?
それはもう死んだよ。使用期限が切れて。
今語るべきは
Japanese POPularityのほうだ。
つまり「日本の大衆性」としてのJ-POPだ!
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みんなを愛し、みんなに愛される。
椎名林檎は大衆との愛の技法を知り尽くした職人だ。
もやは怪物だ。天才だ。そのポップセンスについて考えていきたい。