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不安になる
唐突だが、私は自信がない。
これは決して今に始まったことではない。
長きに渡って積上げてきたいわば実績のようなものだ。
人生ももうすぐ30年。
武士の時代ならちょうど人生を折り返した頃だ。
この短くも長い私の経験から、分かる。
自信を持って言おう。
私には自信が微塵もない。
私が生まれたのは平成の初期も初期。
平成初期の田舎には、その終わりを迎える直前までどんよりと、しかし確かに昭和が漂っていて、だから私は自分の人生をこう評している。
『平成生まれ、昭和育ち』と。
そうは言っても今は令和。
令和であれ平成初期であれ、我々が刀狩にあったのはもう遠い過去の話だ。
人が空を飛ぶようになってからも久しい。
空を飛べるようになって、戦争するのが容易になった。
刀で切りつけ合うよりも簡単に、たくさんの人を殺せるようになった。
アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明したことを悔やんだ。
ダイナマイトは空を飛ぶよりもっと直接的に人を殺す。
彼だって、何もたくさんの人を殺してやろうダイナマイトを産みだしたわけではないけれど、ライト兄弟も、人が空を飛び海を越え山を超え、言語も文化も肌の色さえ違う見ず知らずの他人をわざわざ殺しに行く姿を見たら、その人生を悔やんだだろうか。
私は何も発明していない。
何も産み出さない。
ただ生きて、勉強をして、大学に行って、働いて、言われた通りに税を納めて、余ったお金で酒を飲み飯を食らうだけの、どこにでもいる普通の大人。
ただ生きるだけで何も産み出さない人間は、大人と呼べるのかと問いかけてみる。
少なくとも子どもではないか。
私は何も産み出さないのに、後悔だけはいっちょ前にある。
ノーベルの後悔を思えばこんな後悔、比較にもならないだろう。
もう少し上手くやってたら、もう少し頑張っていたら、もう少し、もう少し…。
しかし自信を持って日々生きる人生に思いを馳せずにはいられないのだ。
私は誰も殺さない。
殺そうとも思わないのに、後悔している。
たくさん後悔してきた。
これからもするのだろう。
性格柄だ。
そういった星の下に生まれてきたのだ。
自信のなさは後悔の数だ。
卑屈な性格は父譲り。
私は父が大好きだ。
不器用で寡黙だが大きな愛と器でもって、こんな私を見守り続けてくれているそんな父だ。
それならば仕方がないだろう。
そう言い聞かせるように書き殴っている。
しかし困ったものだ。
自信のなさは人生を狭く浅くする。
可能性を潰していく。
本当にそうか?
そもそも可能性なんてなかったかもしれない。
初めから私の人生なんて狭くて浅いものかもしれない。
そんなif世界線のことを考えても仕方ない。
現実として、私には自信がなくて、私の世界は矮小だ。
人を妬み、縛り、傷つけることで保つ自我が卑しい。
ああ、あと何を努力すれば、何を身につければ、何を知れば、何を鍛えれば、何を磨いて何を考えて何を造ったら、自信が持てるだろうか…。
私はいつだって不安だ。
刀が欲しい。
この世界を切り開ける刀が。