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気まずい私のお誕生日会

あの頃の私の背中へ

「ママにはなんでも話せる」「家族っていいね」
「今まで育ててくれてありがとう」「親孝行しなきゃ」
「家族の絆」
そういう感情や感覚は私にとってはフィクションだ。
ドラマや、歌詞や、本や、キャッチコピーの中で
いつだって家族というのは暖かく、安心できる、
唯一無二の場所として描かれる。

私には理解し難い。

物心がついた頃、そして思春期から大人になっても。
両親にたくさん傷つけられ、私も傷つけた。
家族だからといってうまくいくとは限らない
ということに気がついたのは
とっくに大人になってからだった。
気がついたからといってこれまでお互いにつけあってきた
無数の傷はそう簡単に癒える事などなく、
いまも傷つき続けている。

それでもいつまでもその痛みを引きずり続けることなんてできない。
だって、これからも私の人生は何十年も続いていくのだから。

これまで辛かった事を忘れるために、書き記していこう。
あの頃の私の背中に届きますように。

3月生まれのわたし

小学生の頃「お誕生日会」というのが流行った。
学校で手作りの招待状を仲の良い友達にこそこそ渡して、
(なにせ女子小学生の交友関係は世界一複雑なものなので、
あの子は呼んだ、呼ばないが広まると死活問題に直結するのだ)
誕生日付近の土日に家へ招いて、
お昼ご飯を食べ、ケーキを食べ、ゲームをして、主役にプレゼントを渡す。
そして招待された子は帰りにお土産をもらって帰る。
そういう会だった。

友達の誕生日会や従姉妹の誕生日会にお呼ばれして、
それはそれは楽しかった事を覚えている。

まゆちゃんの時は、お昼ご飯に出てきたミニトマトがすごく甘くて、
あんまり美味しかったから、それまで苦手だったのにすっかり食べられるようになったし、従姉妹は生クリームが苦手だったから代わりにアイスケーキが出てきて、そんなケーキもあるのかと衝撃を受けたり。

とにかくその誕生日会はいつものように遊ぶのとは全く違っていて、
特別楽しくて、友達のお母さんはみんな優しくて、
友達は会の主役として別格の扱いを受けていた。

そして私は3月生まれ。
1年間かけて友達の誕生日会での輝きを見続けた。
もちろん、母親に言う。
「私もお誕生日会したい!」

しまい忘れたコップ

さて、3月。
待ちに待った自分の誕生日会。
事前に招待状も渡し、参加者へのお土産も買いに行った。
イオンだったかの子供エリアにあったワゴンセールの中から、
半額になったキティちゃんのステーショナリーセットを
人数分手にとって
「これでいいやんな」と母は言い、
帰ってきてから半額シールを丁寧に剥がし、
家にあった包装紙で綺麗に包みこんだ。

当日のお昼ご飯はカレーだった。
お皿の真ん中に、車の形になったご飯がよそってあって、
その周りにカレーが流し込んであった。
「家にこんな型あったんだ!」と驚いたのでよく覚えている。
みんなで楽しくカレーを食べて、食後にはケーキを食べて、
プレゼントをみんなから貰って。
私はまさに一年間見続けた「誕生日の主役」だった。
母親に呼ばれるまでは。

楽しく話していると、母親がスッとリビングに入ってきて、
「ちょっとこっちおいで」とにこやかに私を呼んだ。
友達にちょっと待っててねと言い隣の部屋にいくと、
「これ見てみ!」
母親が突然激怒した。
指差した先には、学校に持って行っていた歯磨き用の
プラスチックのコップが床に転がっていた。
「どうして出しっぱなしなん!!!」
赤いキティちゃんの巾着にしまうのを忘れていたらしい。
「どうしてちゃんとしまえやんの!?!?お母さんは朝からあんた達のためにこんなに準備したのに!!!めんどくさい!!!!!!」
母親は怒鳴り散らしながら、床に落ちていたコップで
私の頭を何度もゴツゴツと叩いた。
ごめんなさい、ごめんなさい、ちゃんとします許してください。
泣きじゃくりながら何度も何度も謝ることしかできない。
それでも母親はとまらず、叩き、怒鳴り続けた。

いつものことだった。

しかしどうしてよりによって今日なんだ。
どうして今日と言う日に私はちゃんとできないんだと
ひたすら自分を責めた。

初めて味わう気まずさ

ようやく母親の気が済み、解放された私はコップをしまい、
友達の待つリビングへと戻った。
ずいぶん待たせてしまったな、どうしてるかな。
ドアを開けるとみんなと一斉に目があった。

その瞬間の空気、気まずさ。

殴られた頭は髪の毛が乱れ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔。
誕生日の主役の輝きなんて、着ていたよそ行きのワンピースが
かろうじて痕跡を残す程度の、酷い有様。

きっと、母親の怒鳴り声も全部筒抜けだったのだろう。
リビングは沈黙に包まれ、友達の顔は凍りついていた。
「あっ」と思った時には恥ずかしさと、情けなさと、せっかく来てくれたのにこんな気まずい気持ちにさせてしまったという申し訳のなさとが襲いかかって一歩も動けなくなってしまった。

「外で遊ぼ」

一瞬だった。
いま思い出しても本当に感服するほどの絶妙な間合いで
誰かがそう言ってくれた。
(パニックになっていたので、誰が言ってくれたのかは思い出せない)
もしもあと少しでも沈黙が続いていれば、
誰も何も言い出せない空気になっていただろう。
大人になったいまの私も多分できないくらい絶妙なタイミングと、
外で遊ぶという判断。

みんな一斉に「そうしようそうしよう」と続々と外に行き、
「大丈夫?」と私を優しく気遣ってくれて、しばらく遊ぶうちに
私もすっかり元気になって、帰りには笑顔でみんなに
半額のステーショナリーセットを手渡すことができた。

母親の暴発

いま書き記したのは一体何年生のことだったろうか。思い出せない。
けれどもその時感じたどうしようもない気持ちや痛みは鮮明に思い出せて、
これを打ち込んでいる時も辛くてしんどくて涙ぐんてしまった。

こういう母親による感情の暴発というのが物心ついた時からずっとあって、
その時負った傷というのが、全然癒えていかない。

これをnoteの記事にしようと思ったきっかけの一つが、
現在放送中のMIU404だ。

2話を先日みたのだが、その回の犯人の心情が
痛いほど分かってしまったのだ。
(ネタバレを回避するので詳細には書かないでおく)
あの犯人はかつての私だったし、いまの私である部分もあるだろう。
食べながら見ていたが箸はすっかり空中で止まり、
息をするのも忘れ、気づけば汗だくになっていた。

余談だけれど、松下洸平さんの芝居が本当に本当に好き。
すごい緻密な芝居をされる方だなぁと思うし、
自然と引きこまれてしまう。
スカーレットで彼を知ってから一瞬で好きな役者さんになった。

他にもきっかけがあるのだが、それは長くなりそうなのでまたの機会に。

両親から受けたいろいろなトラウマで
いつか笑ってケーキを食べるのが、目標であり、夢であり、復讐だ。

あの時の私の背中にどうか届く日がきますように。

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sumi
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