『シアタースピリッツの魔物』その2
とある劇場に立つ芸人の話です。全5話の短編小説です
感想などいただけたら幸いです
※第一話はこちら
3
ドブ板の住人と光り輝くスターとの接点は、おれの想像を裏切って意外にも早くやってきた。
日頃からお世話になっている先輩の水谷さんから、アックスボンバーの小野さんの引っ越しをするから手伝ってくれと頼まれたのだ。
せっかくのデートの日なのに他人の引っ越しを手伝うなんて、と美咲は文句を言っていたが、こういう時に先輩芸人との接点を持つことがおれたちザコ芸人にとっては大事なことだ。
デートの約束はまた別の日にしてもらった。少し頬を膨らませ「話したいことあったのに…」と怒った表情を見せた美咲もまた可愛かった。
引っ越し当日は少し早めに家を出た。先輩を待たせるなんてもってのほかだ。水谷さんから言われた時間に集合場所の渋谷駅前につくと、スクランブル交差点の脇に駐車中の2tトラックをみつけた。
すでに水谷さんはおれを待っていたようだ。ワンミス。
「早くしろ」と頭にタオルを巻いた水谷さんがおれを呼ぶ。急いでトラックに乗りこむと、「じゃ行くぞ!」とすぐに車を発進させた。
「お前、小野さんと会うの初めて?」
トラックを運転しながら水谷さんが聞いてきた。
「はい。初めてです。超緊張してます。どんな人なんですか?」
テレビでしか見たことのないスター芸人のプライベートの顔は、想像もできなかった。
「めっちゃいい人。おれ何回も失敗してるのに怒られたことないし。でもお前は絶対に失礼のないようにしろよ。」
「わかってます!」
「もうすでにワンミスだからな。」
やっぱり減点されてた。芸人の世界は上下関係が厳しい。おれが失礼な行動をしてしまったら、小野さんの直属の後輩にあたる水谷さんが怒られてしまう。そこらへんは、自分なりにちゃんとしている方だと思っていたのだが……。
それにしても売れている芸人さんは、性格もいいんだと改めて感心してしまう。おそらく金銭的にも余裕ができ、後輩たちをどうにかしてやりたいという気持ちになってくるのだろう。と、勝手に想像する。
「お前、引っ越し先の家見たらビビるぞ」
「そんなすごい家なんですか?」
「引くかもしれない。引くくらいすごい。」
なぜか水谷さんが鼻高々に自慢をしてきたが、きっとそれくらいにスゴい家なのだろう。鼻歌混じりにハンドルを握る姿が、どこか楽しげだ。
渋谷駅を出発して15分、山手通りと目黒通りの交差点を右折し、鷹番方面を目指す。車中、おれはあの噂のことを聞いてみた。
「水谷さん、劇場の魔物のこと知ってます?」
「魔物? あぁ、知ってる」
「小野さんが見たって噂、あれ本当ですかね?」
「知らねぇ。あとで直接聞いてみればいいじゃん?」
失礼じゃないですかね? と一応確認してみるが、水谷さんも聞きたかったらしく「大丈夫だろう」とのことだった。楽しみが一つ増えた。
クーラーの効いた車の外を汗をぬぐいながらベビーカーを押すママや日傘をさした老婆、スーツの上着を片手に歩くサラリーマンが流れていく。
目黒通りを左折し、道なりに進む。郵便ポストを通り過ぎたところで、トラックはキキーッとブレーキのいやな摩擦音をさせて大きなマンションの前で止まった。
黒い外壁に囲まれた建物の窓はそれぞれが大きく、パッと見ただけで高級マンションだとわかる。すげえ。思わず口からこぼれていた。
この時点ですごいマンションなのに、引っ越し先はこれよりもはるかにスゴいらしい。さすが超売れっ子芸人だ。
「行くぞ」
そう言うと水谷さんはエンジンを止めて、トラックを降りるように目で合図した。ドアを開けるとむせ返るような熱が、まるでカプセルのなかに閉じ込められたように全身を覆った。
暑さから避難するかのように小走りでマンションのエントランスを目指す
おれの部屋がそのまますっぽり入るくらいの大理石調のエントランスに入ると、シトラスの香りが鼻腔をくすぐった。
オートロック横のインターフォンを手馴れた感じで水谷さんが押す。しばらくするとフックを持ち上げるガチャっという音に続いて、機械混じりの「はい」という声が聞こえてきた。小野さんの声だ。
「おはようございます。水谷です。」
カメラに向かって頭を下げる水谷さんにならって、おれも頭を下げる。
オートロックが開錠され、自動ドアが開いた。エレベーターに乗り込み目当ての部屋に着くとそこに、小野さんの姿があった。
「本物だ!」心の中で喝采をあげた。
「こいつ、後輩の真悟です。何年目だっけ?」
「はい、7年目のエベレストの真悟です。よろしくお願いします!」
紹介が遅れたが、おれはエベレストというコンビを組んでいる。いつか世界のてっぺんになってやる、そんな意味を込めてつけた名前だ。今は完全に名前負けしている。
深く頭を下げて挨拶すると小野さんは白い歯を見せて「よろしく」と笑顔を見せてくれた。なんて爽やかなんだ!
部屋にはすでに段ボールが積まれており、おれたちはこれをトラックに積んで新しい部屋へと運ぶ。その間、小野さんはテレビ局で仕事だ。
地下の駐車場まで、お見送りする。エレベーターの中で小野さんは「悪いけど頼むわ。これで飯でも食っといて」と1万円札を水谷さんに渡した。かっこよすぎる。いつかおれもあんな風になれるのだろうか。
駐車場に停めてあった黒のマセラティに乗り込み、低いエンジン音を鳴らしながら仕事場に向かう小野さん。勝ち組とはこういうことなのだという光景を目の当たりにし、現実と妄想との区別が一瞬つかなくなった。
小野さんがいなくなってからおれたちは黙々と作業に取りかかった。
トラックに荷物を積み、新しい部屋へと運んでいく。新しい部屋は「引くくらいすごい」と前もってハードルを上げられていたが、そんなハードルをいとも簡単に飛び越えるほどの豪奢な部屋だった。
優に30畳はこえるリビングは、白地のタイルと黒系のカーテンでシックにまとめあげている。
家具も洗練されている。俳優の渡辺篤史がお宅訪問をしている番組で見た、コルビジェの黒皮のソファー。そしてその前には、これまた渡辺篤史がお宅訪問をしている番組で見た、イサムノグチのコーヒーテーブルを配置。さらに100インチはある液晶テレビ。
シャワールーム付きの豪華なベッドルームはリビングから一転、赤いカーペットが敷かれ女性をもてなすために用意されたような気さえもしてくる。
6畳はあろうウォークインクローゼットに無駄に大きいアイランドキッチン、メゾネットの2階部分は全てクルミ材のフローリング、とおれの年収が1カ月で吹っ飛びそれでも足りなそうな、まさに引くくらいすごい部屋だった。
「おれたちも頑張らなきゃな」
水谷さんが軍手で汗をぬぐいながらつぶやいた。
「絶対に売れよう」
今度はおれにではなく、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
売れてない芸人はみんな必死で売れようとしている。絶対に売れたいと思っている。でも実際に売れてこんな豪華な部屋に住めるのはごく一部だ。
それでもおれたちは、いつか必ず成功すると信じて芸人を続けている。大きなチャンスがやってくるのを、心待ちにしながら貧乏生活を続けているのだ。
「夢はあきらめなければ必ず叶う」
なんてよく聞くが、芸人にとっては夢が叶ってからが勝負だ。叶った後はいつでも諦めることができる。いつでも辞めることができる。けれどもそこをふんばって、なんとかみんな生きている。
夢を叶え、初めて舞台に立った時のあの喜びを心の燃料にして。
順調に作業は進み、おれたちは小野さんからもらった1万円で松屋のしょうが焼き定食を食べた。おつりは二人でわけた。
その後もひたすら汗を流し荷物をすべて運び終えた頃には、昼間の暑気がウソのように消え去り涼しげな風が頬をつたった。
慣れない作業で得た疲労感と、成功者を目の当たりにした敗北感がないまぜになって少し気分が落ちた。南の空には上弦の月が白く浮いていた。
4
夜8時に、恵比寿で待ち合わせ。私は5分前に恵比寿像の前に到着した。
彼はまだ来てないみたい。電源の入っていないiPhoneの黒い画面で簡単に身なりをチェックする。
少し緊張している私の顔が見えた。
「あれ?もう来てたんだ?」
後ろから声をかけられ、少し心臓が高鳴った。振り返るとそこには井手さんの姿。
「こんばんはぁ」
つとめて明るく返事を返す。
「ごめんね、急に呼び出しちゃって。ロケが急にバラシになって時間できちゃったからさぁ。飯でもどうかと思って。」
「はい、全然大丈夫です!」
ガールズバーに来る客と、こうして店外デートをすること自体は禁止されていない。ただ、私の中では絶対にしないと決めていた。真悟に隠し事はしたくなかったから。
でも井手さんに誘われた時に、もしかしたらという考えが浮かんだ。
もしかしたら真悟を売り込んで、新しく始まるという番組に出演させることができるんじゃないかと。
ガールズバーで働き始めたのも真悟のため。そしてこの男と食事に行くのもすべては真悟のため。
真悟がテレビに出られるんだったら、私は何だってする覚悟がある。彼だってきっと喜ぶに違いない。
もしレギュラー番組が決まったら、真悟は絶対に売れると思う。
今まではチャンスがなかっただけ、世の中から認知されていなかっただけ。それがテレビに出ればいろんな人に見てもらえるんだから、絶対に売れる。彼にはそれだけの実力があるの。
彼女の私が言うんだから間違いない。
「あっ、信号変わるよ」
井手さんが慣れた手つきで私の左手を握ると、横断歩道を走り出した。
真悟のためとは言え、こんなところを見られたらなんて言い訳しよう。飲み屋街を歩きながらそんなことばかり考えていた。
細い路地を少し行くと小さな高級焼き鳥店が見えた。一度テレビで紹介されているのを見て、いつか行ってみたいなと思っていたところだ。
「ここの白レバーが最高なんだよ」
井手さんが少し得意げにそう言うと、そのまま店内の個室へ入っていった。
BGMにクラシックが流れている。和風な店内には少し似合わないなと初めは思ったが、だんだんと耳に馴染んできたせいかこれはこれで心地よく感じられるようになってきた。
もしかしたら試行錯誤の末に、こうした曲をセレクトしたのかもしれない。
「とりあえず生2つ。で、いいよね?」
私に確認して店員さんに目配せをした。なんだか井手さんの雰囲気がこの前とは全然違う。ボケてばかりでウザかったのに、今日は紳士的だ。少しだけギャップでやられそうになる。
「美咲ちゃん、本当に彼氏いないの?いるでしょ?」
ふいに井手さんが聞いてきた。
お店で働いている時はこの質問にはすぐに否定をするのだが、気が緩んでいたせいもあり言葉が詰まってしまった。
「やっぱりいるんだね?そりゃそうだよな。可愛いもん」
「ごめんなさい」
「別に謝ることないよ。僕はまったく気にしないから。何やってる人?」
どう答えるか迷った。本当のことを言ったほうが正解なのか。
「この前、若手で元気のある子知らないかって言ってましたよね?」
とりあえずここはごまかしておこう。
「え? あぁ、あれね。言ったけど、どうしたの急に?」
「エベレストってコンビがいて、すごい面白いんですよ。」
「エベレスト? 聞いたことないな。面白いんだ?」
「はい!」
とにかく今は真悟を売り込むことが全てだ。今日だってそのためにここまでやってきたんだから。
「知りませんよね? テレビにはまだあまり出たことないから…。でも本当に面白いんですよ。ボケの真悟さん、私のツボなんです!一度見てほしいな」
必死にアピールした。
「へぇ。機会あったら見てみるよ。ていうかさ、もしかして美咲ちゃんの彼氏ってそのエベレストってコンビの子なの?」
焦った。どう答えよう。言葉がなかなか出てこない。
「やっぱりね!表情が急に変わったから何かあると思ったよ」
「ごめんなさい」
なんか気まずくなって謝った。
「そうか。美咲ちゃんがそこまで言うんならまぁ見てもいいかな。」
まさかの言葉だで、嬉しくなって声がはずんでしまう。こんなすぐにチャンスが巡ってくるなんて、ガールズバーで働いていて本当によかった。
真悟にはなんて報告しよう。サプライズにしておこうかな。
頭の中でぐるぐる思いがまわっていく。井手さんに見てもらって、新しく始まる番組のレギュラーに決まれば絶対に売れていく。それは私の夢でもある。
全然誰も知らないときからファンだったけど、売れて人気が出たらなんだか遠い存在になって「昔のほうがよかったよね」と知ったかぶりをするファンがよくいる。
けど、私は絶対に違う。エベレストの人気が出れば出るほど私の幸せの量も増えていくはず。だってそのために私は真悟のために尽くしてきたんだもの。
それからしばらくは、真悟のどこが面白いのかをアピールしまくった。お酒の力もあって普段以上に喋ることができた。
私いま、何杯目を飲んでるんだろう。大好きなことを話しているせいなのか、時間の流れがものすごく速く感じる。
知らず知らずにお酒も進んでいった。
井手さんはニコニコしながらずっと私の話を聞いてくれている。いい人に巡り合えて本当によかった。
「井手さん、真悟のことよろしくお願いしますね!」
自分でも顔が真っ赤になってるのがわかるほど、内側から熱がこもっている。やっぱり少し飲みすぎたみたい。
「もちろん。美咲ちゃんの彼氏ってことで特別だよ」
そう言うと、井手さんがテーブルの上で私の手を両手で握ってきた。
「もうちょっとさ、詳しい話も聞いてみたいし僕のほうからも話したいことあるし。ほら、新番組のこととか」
口元に少しだけ卑しい笑みが見えてきた。
「ここじゃなんだから……。場所を変えようか。」
次の言葉を想像して、私の心臓が少し早くなった。
「ホテルに行こうよ」
つづく