【エッセイ】天皇陛下のことなんて、わたしには関係なかった。
4歳の頃から、ピアノを習っていた。レッスンのことは残念ながらひとつも覚えていないが、母いわく、わたしは毎週のピアノレッスンをとても楽しみにしていたらしい。
雨が降ってもカッパを着て、家から歩いて40分ほどの場所にある、大手の音楽教室に、1年生になるまでの2年間、いちども休まず通っていたようだ。
言われてみれば、教室への行き帰り、母に手を引かれながら見た景色は、よく覚えている。
「せせらぎ通り」という名の、ちょっとした、
ほんとうにちょっとした小川が流れる歩道。
大きな高校の前を横切っては、ここに通いたいと夢ごこちだった。
なだらかな坂の下にある、音楽教室。
すぐ近くにバス停があり、帰りは、そこの前の ダンキンドーナツで、ドーナツを買って食べた。
仲良しのお友達と、バス停の前でおしゃべりしたことも、しょっちゅうだったっけ。
そして、もうひとつ。
忘れられない出来事が、あった。
それが、「昭和天皇の崩御」である。
1989年1月7日。
その日は、ピアノのレッスン日だった。
もうすぐ1年生になるわたしは、いつものように
レッスンバッグを持ち、喜びいさんで玄関に走った。
「おかあさん、ピアノいこう!」
母は、浮かない顔で言った。
「今日ピアノお休みだよ」
「えっ、なんで?」
「天皇陛下が、亡くなったから」
そういえば、ついていたテレビが、そんなことを言っていたような気もした。
「今日は、行けないよ」
直後、わたしは激しく泣いた。
「いやだぁぁぁぁ!! ピアノいくうぅぅーーー!!」
てんのーへーか? だれ、それ。
なんで、てんのーへーかがしんだら、
ピアノやすみなるわけ?
きょう、にちようびじゃないのに。
たいふうじゃないのに!
ずっと、ピアノやすんだことないのに!!
きらい、てんのーへーか、きらいっ!!
などと、当時のわたしは
思っていただろうか。
「テンノーヘーカが死んだせいで、ピアノが休みになった」
昭和天皇の崩御で、ピアノ教室に行けなかった。その「理不尽さ」が、皇室への「個人的な恨み」になり、こころに残り続けた。
適応障がいに苦しみ、表に出られなかった雅子さまを守るために、会見を開いた皇太子殿下(当時)のモノマネをして遊んでいたのは、思春期のころだったか。
皇室に敬意を表することなく大人になり、
「天皇? わたしたちと同じ人間でしょ。偉くない偉くない」
と、お正月の一般参賀のとき、皇居に群がり日の丸を振るブラウン管ごしの人々を、冷めた目でスルーし続けた。
今となっては失礼でしかないが、愛子さまが産まれたときでさえ、「ふーん」と、テレビのニュースを眺めているだけだった。それどころか、
「見たいドラマ潰れちゃったよ。やれやれ」
と、ため息さえ出た。
あのころは、子供もあまり好きではなかったので、「赤ちゃんかわいいな」とすら思えなかったのだ。とにかく盛大に病んでいた。
ピアノ講師として勤めていた音楽教室で、
愛子さまが小学生になり、
ご入学なさった小学校でいじめにあっている、と同僚のピアノ講師から聞けば、
そんなわたしでも、たいそう驚いた。
え、だって、皇室って偉いんでしょ?
天皇が死ねば習いごとも何もかも全部休みだし、
愛子さまが産まれたときだって、テレビのどのチャンネルも、そのニュースだけだったし。
天皇陛下の崩御をはじめ、皇室の冠婚葬祭は、国民総出でお祝いしたり、お悔やみ申し上げたりするほどだ。
いくら、小さい日本列島の、もっと小さい島の片隅に住んでるわたしが「天皇? 偉くないよ」と声を荒げたところで、お正月の一般参賀には、たくさんのひとたちが皇居に押し寄せ、天皇陛下を拝むのだ。まるで、神が降りてきたかのように。
偉くないわけは、ない。
やっぱり、天皇は国民の象徴。
そんな、生きた神様・天皇陛下の孫(当時)が、
一般庶民とおなじく、いじめにあっている?
というか、神の血筋である「皇族」の子を、
いじめる子供がいるの?
親の顔が見てみたいぜ。
……あ、もしかして。
親は、わたしみたいな病んだやつなんだろうか。
てんのーへーかの、せいで!
と、文句を言っていた幼稚園児のまま大人になり、「てんのーなんて、えらくないよー」とうそぶき、産まれた子供にも同じ思想を、「人類平等」の名のもとに、こっそり仕込んでおいたその結果。
日本のカミサマになるかもしれない愛子さまが、天使にも悪魔にもなりうるけど、神様にはきっとなれないだろう残酷な子どもたちに、こころを傷つけられている。
そこまで考えて、
なんだか自分が恥ずかしくなった。
「戦争は終わった」と、玉音放送で国民に広くお知らせになったのが、崩御した昭和天皇だった。
その放送に救われた国民も、
たくさんいただろう。
感謝して拝みたくもなるはずだ。
何よりも、太古の時代から現代まで、その血筋は脈々と受け継がれているのだ。それだけでも、尊いことではないか。
結婚して、夫になったひとは、
わたしとは真逆である。
皇太子殿下が、天皇に即位する儀式「即位礼正殿の義」を、わざわざテレビの前に座って、おごそかな顔で見ているようなひとだ。
そんな夫に、冒頭の「天皇陛下の崩御でピアノ教室に行けず悔しかった話」をしたら、夫はドン引きした。
「天皇は国の象徴だろ。もう少し敬え」
学校で散々習ったことが、こんなにも染みついているひともいるのか。
外国に行ってないのに、カルチャーショックを受けた瞬間だった。
もうすぐ2歳になる娘の名前は、あのとき2人で観ていた、即位礼正殿の儀がきっかけで決まった。
皇室の式典から、インスピレーションを受け取ったのは、わたしではなく夫だ。
神様は、すべてお見通しなのだろう。
皇室にたいして、無礼なことを散々のたまった
わたしのことも、皇居に向かって深々と頭を下げる、夫のことも
新しい天皇陛下とともに産まれた名を持つ娘。
そんな娘に、わたしは「天皇なんか偉くない」
などと、口が裂けても言えなくなってしまった。
盛大に拗らせ、病んでいたあの頃よりも、天皇陛下と皇室を敬う気持ちが、芽生えてきている。
結婚を機に、勤めていた音楽教室を辞め、
講師のキャリアを終えた。ゆえに、
ピアノは、娘が産まれてから
ほとんど弾いていない。