わたしの「ベストスリー」
noteの皆さま、お疲れさまです。この記事を書くために、spotifyアプリを入手しました、Sazanamiです。そしたら、夕飯どきに聴ける音楽が、格段に増えまして^ ^
ピチカートファイブから、オザケンから、フィッシュマンズからホフディラン、HALCALIまで!
娘といるときに聴けるのは、「トントントンひげじいさん」か「いとまきのうた」の2択。
しかも
娘1歳5ヶ月が「おっとー!(もっとー!)」と、
2分足らずの曲が終わるたび、せがむので
どちらか1曲を、エンドレスで流してます。
その2曲が嫌いなわけでは、ありません。
ただ、同じ童謡1曲をひたすら聴き続けるというのは……苦行というか何というか。
ノイローゼになりそうな一歩手前で夫が帰ってきて、娘を連れ出してくれるので、そこからは、
わたしの時間。
spotifyでスキな音楽を、いい音でガンガン聴いてパワーチャージしながら、夕ごはんを作ります。
おかげで、夕暮れのひととき、豊かな時間を過ごしています。そのときだけ、独身に戻れるかのような。
さて。
そんな、実り多き時間をくれるspotifyから、
探しました! 題して、
わたしのベストスリー♪
40年ちかく生きてきたなかで、とくに「推したい」3曲を、エピソードを交えて、お届けします。
思いのたけが溢れにあふれ、5,000字超えの記事になりましたが、損はさせません!
と言いつつ、目次から興味のある曲だけ
拾っていただいても、ぜんぜん大丈夫です。
むしろ、オススメします。
読めば、心に「あかり」が灯る。
そんな3曲と、エピソードを選びました。
まずは、こちらから
FISHMANS「感謝(驚)」
1994年発売のアルバム「ORANGE」に収録されている、FISHMANSの人気曲です。
FISHMANS、中学のころから大ファンなんです。高校入学前に復刻版で出た、彼らの初期のアルバムを、もらった合格祝いを使って買い揃え、親に怒られた思い出があります。
「感謝(驚)」も、その経緯をたどって、高校生活が始まると同時に、まいにちヘビロテしてました。
とにかく、歌詞が好きです。
「なぐさめもなく 優しさもなく
そっと 過ぎてく季節を
はしゃがないで 見守ってた
あのひとに驚きと 感謝こめて
歌うだけだった そう全部」
1番のこの部分が、とくに刺さります。
軽快なファンク調の、静かにノれるタイプの曲から、髪の長い、色白でほっそりした、透明感のある美しい女のひとの、深いまなざしが呼び起こされます。
あと、イントロの、ぴょんっとハネるギターの音も好きです。
なぐさめもなく 優しさもなく
Vo.佐藤さんは、サラッと詞にして歌っていますが、これって、実生活にあてはめると、なかなか難しいことだと思うんです。
弱っているひとが目の前にいたら、慰めよう、優しくしよう励まそうって、わたしなら、やっちゃいます。
そのひとを元気にするために、じぶんの持っている、ありとあらゆる力を使いたくなるというか。
でも、実際じぶんが弱っていると、
「ほっといてほしい」
って、なるんですよね。
まわりのひとが、わたしを元気づけるために、励ましてくれることも、心配してくれることも、
「わたしでよかったら、相談に乗るよ」
わざわざ電話かけてきて、そう、声をかけてくれることも、申し訳ないけど、なんだか煩わしい。
わたしは電話で話すのが苦手なので、
「そっとしといてよ……」
と、半泣きで思いましたが、いまなら、
いてもたってもいられず電話してくれた
友人のきもちが、少しだけわかります。
そうなんだけど
じぶんが、ヘタに慰められたり優しくされたりするの、あんまり好きじゃないから
ひとにも、そういうふうにしたくないんだけど。
それでも、弱ったひとを放置するなんて、冷たい人間だと思われたくないし……。
と、堂々めぐりして、結局なんの力にもなれない。という場合が、わたしは多いです。
だから、この歌の、この歌詞を聴いて
「こんなにナチュラルに、ひとと接することができたらカッコいいよなぁ」
と、うっとりしていました。
そしたら……いました!
この歌詞を体現しているひとが。
なにを隠そう……
友人のYちゃんです。
Yちゃんは、高校の頃のクラスメイトで、入学してすぐに仲良くなりました。
当時、ジャンプで連載していた「封神演義」の話で意気投合して、わたし宛の年賀状に、妲己ちゃんの絵を描いてくれました。
絵の描けないわたしにとって、Yちゃんは尊敬に値する人物。よく言えば明るく天真爛漫、悪く言えばKYの彼女が大好きになりました。
わたしの通っている高校の学科は、クラス替えがなかったので、卒業するまで、Yちゃんとは同じクラスでいられました。とても幸せなことです。
高2の秋。
別のクラスメイトとトラブルを起こして、わたしは不登校になりました。
わたしを叱る友人
心配しつつ、トラブルの詳細を詳しく聞きだして、クラスのみんなと共有したい友人
「理由を言え」と、電話で詰めてくる担任
みんなが怖くなって、ますます家にこもるようになっていた、ある日のこと。
とつぜん、インターホンが鳴りました。
居留守を使っていましたが、あまりにしつこいので、出てみると、Yちゃんだったのです。
「もーっ、なんなのここ、わかりにくーい! バス停から1時間かかっちゃったよー!」
わたしの家からYちゃんの家まで、車で1時間以上かかります。しかも、同じ市内に住んでいる友人ですら迷子になる場所にあるわが家。
それなのに、わが家周辺の土地勘もなにもないのに、たった1度遊びにきただけの記憶を頼りに、学校からバスに乗って、バス停から10分で着くところを、1時間も道に迷って、Yちゃんは、わたしの顔を見にきてくれたのでした。
ほかのクラスメイトのように、Yちゃんは、わたしを責めたり、好奇心まるだしで話しかけてきたりもしませんでした。
ただ、学校で起こったことや、封神演義がどうなったかの話を延々としただけでした。
Yちゃんが帰り、しずかになった家の中で、わたしは、温かいきもちを噛みしめていました。
そのとき、頭の中に流れたのが、この歌です。
なぐさめもなく 優しさもなく
そっと 過ぎてく季節を
はしゃがないで 見守ってた
「Yちゃん」に驚きと 感謝こめて
「お見舞い」に来てくれたYちゃんは、わたしを慰めたわけでも、励ましたわけでもありません。心配は、していたかもしれませんが、そんな様子を、おくびにも出しませんでした。
弱っているわたしを前にしても、いつもと同じ調子で、彼女は接してくれた。
それだけで、こんなにも気持ちが軽くなるとは、思いもしませんでした。
慰めも、優しさもなく、そっと過ぎゆく日々を、はしゃがず見守る「やり方」を、Yちゃんに教わった気がします。
ふたたびクラスに戻るまで、ひと月ほどかかりましたが、それほど時間を要さずに、また学校へ行けるようになったのは、Yちゃんのチカラが大きいです。
久々に「感謝(驚)」を聴いて、
Yちゃんのことを思い出しました。
結婚と同時に、東京に越していった彼女。
あれから8年目の冬は、もうすぐ。
元気にしてるかなぁ。
ホフディラン「スピリチュアル」
2001年発売の「31st CENTURY ROCKS」に収録されている、ホフディラン屈指の名曲です。
Wikipediaみたら、天才てれびくんワイドの「MTK」としてカバーされた、とあります。
そうだったのか……!
ファンだけど知らなかった。恥ずかしっ。
イントロから終わりまで、ずっと流れている、どこかトボけたようなキーボードのメロディーが、ほっこりした曲の世界観を形づくっています。
あの音を聴いただけで、こわばった心がフッとゆるんで、かすかな笑みが浮かびます。
優しい気持ちになれる音、です。
そして、やっぱり歌詞がいい。
ハートを鷲づかみされます。
この胸の奥には 心の奥には
大切な物が しまってあるのさ
抱えきれないほどさ
隠しきれないほどさ
こんな気持ちになるのは
初めての事さ
とてもスピリチュアルな
メッセージさ
誰の心にだって
届いてしまうよ
僕の思いのすべてが
キミに届いたら
この世界中の人が
微笑んでくれるさ
この歌を初めて聴いたのは、20代後半の頃。
当時、ブライダルシンガーの仕事をしていたんですが、なかなか馴染めず、働いて何年たってもミスばかりしていました。勤務年数だけで言ったら「中堅」くらいでしたが、経験値は新人のまま。
ところで、ブライダルシンガーは、挙式本番で賛美歌を歌うだけでなく、リハーサルにも立ちあいます。
そこで、大事な新婦入場のときに、ウェディングステップの説明を忘れる、という、一歩間違えればクレームになるミスをして、先輩たちから散々怒られたことがあります。
新婦&新婦父が、もたついた歩きかたをしていると、カメラマンも写真を撮れなくなるし、なにより新婦がウェディングドレスを踏んで、転倒につながる恐れもあるのです。
どうしても、現場がピリピリするなかで、ともに挙式に入っていた牧師センセイだけが、柔らかい雰囲気で、わたしに優しく微笑んでくれました。
「ここにいて、いいんだよ」
そうおっしゃってもらえているような、
その微笑みに、どれだけ救われたか。
いつまで経ってもポンコツだけど、
わたし、いていいんですね。
胸がいっぱいになりました。
「スピリチュアル」の歌詞は、あのときの牧師センセイへの感謝のきもち、そのものです。
まさか、わたしの気持ち、ぜんぶ伝えることは、できないけれど、いつか、ほんとうにその「尊敬と感謝と思慕の念」が、あの方に届いたら。
そんなことを、ぼんやり夢みて
微笑む日々でした。今も、かな。
「スピリチュアル」を聴くと、こころの真ん中が水晶みたいに輝きだします。
わたしにも、こんな純粋な部分があるんだと、涙があふれそうになったのを覚えています。
この曲を聴くたびに、
わたしって捨てたもんじゃないな。
心の中に、こんなキレイなものがあるんだから。
と、どこか誇らしい気持ちにもなりました。
そうやって、自己肯定感が
育っていったような気がします。
中村一義「いつだってそうさ」
2002年発売のアルバム「100s(ひゃくエス)」に収録されている曲が、ベストアルバム「最高築」を作るにあたって、録音しなおされたものです。
この「最高築」は、2017年発売です。
誰かに出会った?
そう、誰かが変わったかな?
誰かに会えんだ。
そう、何かが変わった。
そんで、あなたに出会った。
そう、僕等は変わったかな?
誰かに会えんだ、ここではね。
動き出せ!
誰かに出会った、誰かが変わった。
ステキな歌詞ですね。
この曲を初めて聴いたのは、大学生のころ。なんだかもう、恐ろしく自分に絶望している時期で。
わたしが死んでも、誰も泣いてくれないよなぁ。
と、なぜか途方にくれていました。
人見知りが治らない、大学のグループ学習で、やるべきことをしょっちゅう忘れて、友人たちの足を引っ張る。夜、眠れないから朝が起きられず、5限の授業にすら間に合わない、どうしようもなくグダグダな自分を、変えたくても変えられない。
大学3年の頃だったか。
バイトの研修を「ドタキャン」
してしまったことがあります。
一緒に研修を受ける予定だった友人にも、
バイト先にも、たいへん申し訳ないです。
その理由が、申し訳なさに追い討ちをかけるようなもので「昼から翌日の朝方まで寝てしまった」
要するに、「約束の時間に合わせて起きられなかった」という、学生だけど、社会生活不適合者みたいなもので。
大学で同じグループの友人たちに、白い目で見られるわ、うしろ指さされるわ、で。
情けないやら、かなしいやら。
そんな自分を、「ごみ」みたいに捉えていた時でした。この歌が、耳に入ってきたのは。
もしかして、わたしみたいな奴でも、出会った誰かを変えることができるかな。
わたしみたいな奴でも、なにか変えられたりするのかな。
そんな考えが、じわじわと広がっていくうちに、真っ暗な心の中に、ひとすじの光がさしたような感覚が出てきました。
いまでも、この曲を聴くと、へっぽこな自分に「価値」がついたような気持ちになります。
とくに、この「最高築」バージョン。
ロックなアレンジのなかに、ほんわかしたコーラスと手拍子。
聴いていて楽しい気持ちになります。
最後、コーラスの尺が余って終わるんですが、
「あははは、ライブってこんな感じ。OK!」
と、笑いとばしている中村くんの「ユルさ」に
ホッとします。
こんなふうに、じぶんも相手も許せたらな。
だから、あえての「最高築バージョン」で。
そして、「いつだってそうさ」の世界観。
noteの世界に、似ているな、と
思ったりして。
だれかの文章に出会って、なにかが変わって。
わたしの文章を読んで、「温かいきもちになりました」と、コメントをくれるひとがいて。
そして、誰かの日々が
わたしの日々が
想像もしない方向に
動き出していく。
そんなことを考えて、わくわくしてくるところが
noteとこの曲のこのアレンジに、共通してます。
いやぁ、音楽ってスゴイ!
わたしが、どれほど音楽に救われ、元気をもらって、勇気づけられたか。
長々と書いていて、再確認させられました。
ハートを押したら、当たりが出るかも!
よろしければ、ポチッとしてみてくださいね
以上、「わたしのベストスリー」でした。
ほんとうに「熱く語り」すぎて
えっらい長くなってしまいましたが……。
さいごまで、読んでくれたあなたに
驚きと感謝こめて。ぺこり。