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甲子園で3句 &「わたしと甲子園」

ラベンダーさんの個人企画に参加します!

まとめきれず、とりとめのなさすぎる
記事ですが……🙇‍♀️

「わたしと甲子園」


俳句まで、すこし長いですが、
おつきあいいただけたら、幸いです☺️



甲子園といえば、高校野球。

見始めたのは、球児たちとおなじ
「高校生」のころでした。


「雪国」というハンデ、冬に外での練習が難しくなることもあるなかで、青森県勢初のベスト8進出。そう、青森山田高校です。

1999年・夏のことでした。


地元紙に載っていた、色白で溌剌とした
彼らは、他のどの選手たちよりも爽やかでした。




翌年、2000年・夏。

おなじく青森の
「光星学院高校」(限・八戸学院光星高校」)が、県勢初のベスト4進出。


以来、高校野球にどっぷりハマり、
青森県勢を毎年、まるで親戚縁者でも
いるかのように、熱を入れて応援するように
なりました。

春・夏の甲子園期間だけ、
わたしは青森県民を気取っていました。



11年後の夏。

光星学院は、なんと準優勝!

仲井宗基監督のもと、沖縄出身の川上竜平選手が、2回戦と準決勝あわせて3本のホームランを放つなどの活躍を見せました。


翌年、2012年の春と夏は、大阪桐蔭高校の剛腕ピッチャー・藤浪晋太郎選手との闘いに🔥

クリーンナップの田村選手だけでなく、下位打線の城間選手(ピッチャー)や大杉選手からも本塁打が出るなどの強打で決勝進出。

したものの……。

藤浪選手の完璧な投球に
手も足も出ず、の準優勝😭

東北勢初の優勝は、
またもお預けになりました。



そして、おなじく2012年・夏!


皆さま、こっからですよ!


ここで、わたしは
あの選手に出会うのです✨



誰でしょう……



もう、お分かりの方も
いらっしゃいますね、きっと🤭



現・阪神タイガース
北條史也選手でーす
🙌



当時、彼はチームの4番で
副キャプテンを務めておりました。


2012年・夏
高校最後の甲子園では、

2回戦、3回戦
そして準々決勝・準決勝と、


清原の大会本塁打記録まであと1本の
あわせて4本のホームランという

めざましい活躍ぶり!

(3回戦では、沖縄出身の天久選手が
先頭打者ホームランを放っております)


今年こそは……

今年こそは、いくんじゃないか!?


深紅の優勝旗が、青森に!


テンションMAXで迎えた決勝戦。
なるか、藤浪攻略!


長くなりましたが、以上、
わたしと甲子園、いや


わたしが北條に出会うまで


でした😅







決勝から時をもどして、準々決勝(うろ覚え)

炎天や守備もハツラツ甲子園

(季語:炎天)



北條は、打つだけじゃなく
守備もすばらしかったのです!

対戦相手は、たしか、桐光学園。
ピッチャーは、松井裕樹選手(現・楽天イーグルス)。キレッキレのスライダーが持ち味です。

それは「消える球」と言われ、
どこに落ちるか、打者が
見失ってしまうほどだったとか。


試合中盤。

突如、ショートを守っていた
北條に向かって、高めの鋭い打球が!

北條はすぐさま、バレーボール選手か!? と驚くほど高くジャンプして、あわや抜けるかという打球を、難なくキャッチしたのでした。

すると、間髪入れずに
「守備もハツラツぅ〜!」と
実況が入ったのです。N○Kだったかな。

それが印象に残っていて、
中七に入れてみました😅



9回のフルスイングや風死せり

(季語:風死す)


2012年・夏の甲子園。

決勝戦で、北條はじめ光星ナインたちは、
春に続いて大阪桐蔭高校のエース・藤浪と
対峙することになります。


藤浪のピッチングは
春よりも進化していました。

150キロ台の剛速球を次々にくり出してきたかと思えば、スライダーやカットボールなど、キレのいい変化球を織り交ぜてきたのです。

春以上に歯が立たぬまま、
光星学院はヒット1本も打てず、
そのまま試合は最終回へ。


8回まで終わったところで、大阪桐蔭との点差は3点。いい当たりが出れば流れが変わって、逆転出来るかも……。


祈るようなまなざしを送る、チア部の女の子たちみたいに、わたしもTV越しに、打席に立つ北條を見つめました。

ストライクをふたつ取られて、
あとはないけれど……

頼む、打ってくれ!!


藤浪、投げました!
北條、渾身のフルスイング!!


静寂のあと、


実況「空振り三振〜!!」


ベンチに戻るとき、
北條は、グラウンドの隅っこで
バットを地面に叩きつけていました。

ホームランやファインプレーのあとの、
ニカっと嬉しそうな笑顔を見ることが
多かっただけに、涙を誘う姿でした。


フルスイングのあとの、一瞬の静寂を
句にしたためました。



甲子園かれの心眼ひらく時

(無季語)



これは、北條を詠んだものではないです。

2019年まで阪神タイガースに在籍していた
横田慎太郎選手について、詠んでみました。


阪神ファンの方々が
すでに取り上げてくれているので、
わたしのほうでは説明を控えますが、

これだけは。


横田選手は、2017年に脳腫瘍を患い、
翌年2018年から育成選手として、
実戦復帰を目指していました。

ところが、

自分の打った球の軌道が見えなかったり
ボールが二重に見えるなど


視覚面での大きな不安が残りました。



引退を決めた2019年。

9月26日に行われた引退試合は、
タイガースファンにとって

忘れられない試合になりました。



8回表・ツーアウト2塁。

センターに飛んだ打球を、
横田選手はキャッチして、そのまま
ホームベースにノーバウンド送球したのでした。



のちに、横田選手は

「あのとき、ボールはほとんど見えていなかった。でも、誰かが背中をポンっと押した気がした(それで捕球できた)」

と語っています。(NHK総合テレビ
「逆転人生」2021年12月13日放送にて)


もしかして、そのとき
彼の「心の目」が開いたのかな。

それを合図に背中を押したのは、
内なる自分だったりするんだろうか。


そんなことを思いながら、詠みました。


……おや? 試合会場は鳴尾浜球場?
甲子園じゃないぞ💦



わたしは阪神ファンの端くれで、
甲子園にも行ったことないし、

一軍の試合すら
めったにTVで見る機会がありません💦

スポーツナビなどのアプリや
ネットのニュース、
新聞のスポーツが頼りです。

(ラベンダーさんが教えてくれたりも🤫)

そんな感じなので、
北條の出ていた試合を見逃したりとかも
結構あります😅



それでも、
横田選手の野球愛、闘病の日々、
実戦復帰が叶わぬ苦しみ……。
野球を続けられない悔しさ。

「逆転人生」を通して知って、
テレビの前で涙し、あの引退試合を

ずっと昔から阪神ファンなんですよ、

みたいな顔で見てしまっていました。


そんなわたしですらそうなのだから、

地元の阪神ファンの、横田選手への
思いは相当大きいはずです。



ああっ!

控えめにと思っていたら、
結構な文字数を費やしていました💦


なんかもう、全体的に長いので
ここらへんで強制終了します😅


お読みいただき、
ありがとうございます(*^^*)


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