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ミレニアム&Z世代の「普通なんてない」というスタンダード

表題のお題は、ちょっと大きなテーマすぎて、とても思いつきで書くことはできないんだけど、数日前に参加したオンライントークで「すごく面白い話ができたっ!」っていう謎の充足感があって、そのトークの中で改めて表題のことを再認識したので、ちょっとその時に話したことの断片を認めておきたい。(「したためて」ってこんな字なんだ)


関心の志向性が”ローカル”や”ソーシャル”にあることが珍しくない僕ら世代が感じちゃってるかもしれない違和感

★当たり前に「自分ごとが社会ごとでもある」世代なのに、上の世代から「社会ごと」を求められたり、「自分ごと化しましょう」とか言われちゃうことによる混乱

★地域があって自分とか人がいるんじゃなくて、自分とか人がいて、その関係性としての地域(コミュニティ)があるという捉え方の前提を理解せずに、上の世代から「地域のために」と言われちゃうことの気持ち悪さ

★かといって、やっぱ集落単位くらいの超土着コミュニティならではのつながりの強さに対するある種の憧れ(ふるさと難民・しがらみを知らない)もあって、そこに入れて初めて「一員」となれる感じがするけど、ライフキャリアを考えるとそこまで骨をうずめることはできない、、、という悶々


同心円状に広がる3つの僕にとっての「地域」

「地域」を人のつながり(=ざっくりとコミュニティ)とする前提に立つと、僕にとっては同心円状に大きく3つの地域がある気がする。

★第二の家族的な集落規模のコミュニティ
これは僕にとっては用瀬町用瀬2区で、なんか利害関係抜きに素の自分で居られて、必要以上の気を遣う必要が全くない、むしろ気を遣うことが心地よい関係性のつながり。コミュニケーションは生活の中で、必然として起こるので、あまり意図することはない。この顔ぶれで呑むことが至福の時。

★仕事をつくっていく上で、一定の信頼関係の元でチャレンジできる市町村とか県単位のコミュニティ
社会の成り立ちが、人の顔で見えてくるのが、仕事をしていく上での「地域」となる市町村や県単位でのつながりの面白さで、そこには一定の利害関係があってその分緊張感もあるんだけど、個人の顔が見える分信頼関係もあって、持ちつ持たれつでビジネスが成り立っていく感じのつながり。ある特定の目的を持ったつながりになるので、コミュニティというよりはアソシエーション(組織)的な要素が強くなるのかもしれないけど、組織ありきではなくて目的ありきで、柔軟につながりを収縮弛緩させながら機能させていくイメージ。

★もう一回利害関係を乗り越えて、ちょっと視座を高く持ちながら、でも自分らしく居られる超地域的なコミュニティ
僕にとっては、「みんなでつくる中国山地」と「SFC関係」のつながりがこれ。そこに利害関係は(ほとんど)なくて、でも普段共有している生活文化的な風土は少ないから、そのぶん必要となる意図的なコミュニケーションは多くて、だからこそ刺激的で視座を高く保てるつながり。もちろん、このコミュニティから新しい仕事が生まれるのもよいけど、それは前2つのコミュニティがベースにあるから初めて価値となるもので、優先順位が逆転しちゃってはたぶんダメ。


うん、ちゃんと整理しておきたいな。今日はひとまずメモ程度に書き出すので精いっぱい。

表題のお題に戻るならば、そもそも「世代」で語るのがナンセンスなんだけど、この辺の感覚はまわりの「マジメを嫌わない仲間たち」の中で、一定の共感を持って共有できる価値観な感じはするなー。

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