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大崎麻子・秋山基「豊岡メソッド 人口減少を乗り越える本気の地域再生手法」

寝た子を起こされてしまいました。
やっぱり女性である私が行動を起こさなくちゃいけないんじゃないかって、思い始めてしまいました。

社会に出て、なぜこんなに女性は下に見られているのだろう、ともやもやしていた時期も長くありました。
その後は、結婚して子供を産んで(しかも長男は障がいがあったりして)、ひたすら子育てと仕事の両立で、ほとんどそれまでの仕事の仕方と変わらない夫に対して、なぜ自分だけという思いを抱いたりしていました。
そんな中でも、仕事の上で、自分で提案して自分で進めていく経験ができたり、少しずつ自分の得意なことを活かせるような仕事ができるようになって、不満を感じることが少なくなりました。やりたいことに集中できて、色んなことが気にならなくなるのです。
家のことも、以前より子どもに手がかからなくなったので、だいぶ気持ちが楽になりました。
さらにいえば、同年代とか年上の女性が、「男性ばかりが優遇されている」とぼやいているのを聞くと、この状況でも自分の良いと思ったことをやる進め方はあるのに、この人はそれを自分で身につけることができなかったんだな、と冷めた目で見てしまうようになりました。

この本は、豊岡市の中で行われたジェンダーギャップに着目した組織風土改革について、関わった様々な人へのインタビューをもとに綴られています。

豊岡市といえば、シティプロモーションの部署にいた頃、このサイトについて、どこかで紹介されていた記憶があります。

人口減少について調べていくと、男性は10代で大学進学などのために市外に転出して20代で戻ってくるのに対し、女性は戻ってくる率がその半数程度ということが分かりました。こうしたことから対策として、ジェンダーギャップに注目することになります。
2019年1月に策定したワークイノベーション戦略の中で、ジェンダーギャップが問題になる理由として次の4つを掲げています。

①人口減少の加速
②社会的損失
③経済的損失
④公正さ(フェアネス)と命への共感に欠ける

本書

この④ははっとさせられるし、命への共感という言葉はとてもひきつけられます。
しかもこれを盛り込むことになったのは、当時の中貝市長が部下である女性初の部長の岸本氏の「多くの女性職員はこれまで様々なものを断念してきたんです」という言葉を思い出しての決断だったといいます。

その場ではなんとなく話を聞き流した中貝だったが、ワークイノベーション戦略の文案を決定する前夜になって、「多くの女性職員はこれまで様々なものを断念してきた」という言葉が脳裏によみがえってきたのだ。
「そのとき、あ、フェアネスだと気づいたんですね。ジェンダーギャップが問題なのは、公正さに欠けているからなんだと。考えてみればそうですよね。市役所の男性職員は、家事や育児を妻に任せっきりにして、職場では女性職員に補助的な役割に追いやる文化に寄りかかって、いろんな部署を回ってキャリアアップしてきた。その挙げ句に『女は伸びない。成長するのは男だ』と言ってきたわけです。これはフェアプレーとはいえない」

本書

これはフェアプレーとはいえない。こんな言葉を言ってくれる人がいたら、どんなに嬉しいだろうか、と妄想してしまいます。

登場人物は市の職員だけでなく、中小企業のトップや、地域おこし協力隊を経て起業した方など、多岐にわたります。それぞれが、その人自身の経験と結び付けてジェンダーギャップに取り組んでいる様子が見えてきます。
当たり前のことですが、こうしなさい、と言われて、行動をすぐに変えることができるわけではありません。
ジェンダーギャップという言葉が認知され、自分の抱えている問題と結びついて初めて、課題として取り組むことになるのだと思います。

でも一方で、「本書に登場する豊岡の女性たちの反応は、実に多様であり、遠慮がちにも見える。家庭役割に対する責任感も強い」という指摘もされています。

ジェンダーギャップを認めることは、諦めてきた自分を否定することにもなり、それは苦痛になるのではないかと思います。少なくとも私はそうです。
庶務ばかりは嫌だと声をあげたこともありますが、それを受け止めてくれる上司はいませんでした。人事課に訴えても、事務分担は課内で決めることだから、という返事でした。
後輩の女性が部長に庶務を外してくれと訴えたという噂を聞いたりしましたが、結果としてまた異動後に庶務担当になっているのを目にしたり。
私が庶務ばかりやらされるのは能力がないからだろうと思ったり、いや、能力を発揮できる機会を与えられてないからだと思ったり。
庶務事務を思いつく限り効率化し、浮いた時間で少しは自由度の高い仕事に注力して、それだけが心の支えだったりもしました。

もっと声を上げるべきだったかなと思います。
結局その後、自由度の高い仕事に充ててもらいましたが、そこからたくさんのことを学ぶことができました。もしもっと早くからそういう経験をさせてもらえていたとしたら、もっと色んなことができる人間になっていたのではないかと想像したりもします。
でも今からではどうにもならないのです。

そして今は、同年代の男性がぼつぼつ補佐職に昇格し始める中、私はいまだに係長。係長でいた方が、マネジメントしなければいけない範囲も狭く、その分自由度の高い仕事もできたりするな、と思い始めたりもしています。
やっていることは責任とれる範疇であっても、それがどういうインパクトを生み出すかを考えるとワクワクしてきます。一粒の種が、大きな木になるかも、という話ですが、どこにまくか、とか、土をどうするか、とかいろいろ考えるのです。

ひょっとしたら、自由度の高い仕事に充てられたことでたくさん学べたのは、庶務を通じて庁内の色んなことを知っているという基礎があったからかもしれません。なかなか昇進しなかったけど、権限がないからパワーでねじ伏せるのではなく、種をまいたあとの育ち方を想像しながらたねのまき方を考えるのは、もちろん不確実性はありますけど、多くの人が関われるし、自分が異動した後のことも想定できて、実は良いのではないか、などと思ったりもします。
こうやって、自分の過去を肯定的に捉えたいのです。

そして、今の立ち位置で、可能な限りのことをやればいいのだ、と考えたりしています。そして、自分より昇格が早い男性を見ながら、この人って、どんな仕事してるんだろう、などと冷めた目で見つつ、人は人、自分は自分って割り切っていれば、心おだやかに仕事に集中できるのです。

もう、今の私には、「これはフェアプレーとはいえない」なんて言葉はもういらないと思っていました。

けれど、この本を読んで、昔の傷の痛みが疼き始めました。

そうです、フェアプレーじゃなかったんです。誰かに言ってもらえたら、どんなに嬉しかっただろうと思いました。

同年代かちょっと年上の女性がぼやいているのを、冷めた目で見つつ、もっといえば、フェアプレーじゃない中でも私は多少の結果を残してきた、あなたは何もないからぼやきたくなるのね、と考えたりしていました。
後輩の女性たちがもっと働きやすいように、暮らしやすい社会になるように、などと頭では考えていても、せいぜい半径10メートルくらいのことしか見えていなかったと思います。

今こそ、女性である私が行動を起こさなければいけないんじゃないか。

と思ったのですが、実は具体的に何をやればいいのか、あまり想像できてはいません。ただ、少なくとも、ちょっとだけ、これまでの経験と今の自分に自信を持ってみようと決意しました。
そして、フェアプレーじゃなかったよね、と誰かに言ってもらうんじゃなくて、ここぞというチャンスを捉えて、静かに言ってみるくらいの強さと情熱を持ちたいです。

(4)公正さ(フェアネス)と命への共感に欠ける社会
豊岡市が行ったインタビューやワークショップで吐露された、働く女性の意見や経営者の 現状認識から見ても、仕事に意欲を持った女性が自らのキャリア形成を不本意ながらも断念し、あきらめていかざるを得なかった状況が浮かび上がってきます。
あるいは、夫と同じように働きながら、家事・育児の大半を女性が担い、その結果、女性 が不本意ながら補助的役割を負わざるを得なかった実態も浮かび上がってきます。
このようなことを職場の同僚やパートナーに強いるような社会のあり様は、公正さ(フェ アネス)に欠けると言わざるを得ません。限られた命を互いに尊重するという豊岡市の「命 への共感に満ちたまちづくり」の理念にも反しています。
私たちの社会には、様々な不公正が現に存在しています。それを少しでも是正する努力を、 私たちは怠ってはならないと思います。

豊岡市ワークイノベーション戦略

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