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ステファニー・スタール「読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか」

この本を「読んでみて」と手渡されたのは確か2月頃。ちょうどその頃、職場の研修の課題で、まさにフェミニズム的な課題を選んでいたところだった。とはいえ、仕事と育児と家事との合間に課題に取り組んでいたので、本当に必死で、この本を読んだら新たな視点を取り入れられるかなと少し頭に浮かんだけれど、そうなると発表に間に合わなくなってしまうのではないかと思った。だから「少し時間がかかってしまうけれど、読みますね」とお願いして借りることにした。
2月中にプレゼンは終わり、その後読めるはずだったけれど、他に仕事で読んだ方がいい本があるから、などと言い訳して、なかなか手に取ることができなかった。その理由ははっきりしている。先ほどの課題に取り組んで、女性が活き活きと暮らすにはどうすればよいか、ということを考え、それを表現した結果、もうフェミニズムについてなど、考えたくはないと思ったのだ。多分もうこれ以上考えたとしたら、自分の現実にどう向き合っていけばよいのか分からなくなってしまうからだ。理論は理論、現実は現実、なんてそんなに切り離して考えることはできない。

半年前、夫が「異動の打診が来ているのだけれど、受けてもいい?」と相談してきた。土日の出張が多くなり、朝も早く出ることがあるという。「やりたいんでしょ」と言うしかなかった。夫は嬉しそうな顔をして、すぐに上司に電話した。ただ待たせていると迷惑だからということだろうとは思ったけれど、まるで私の気が変わらないうちに返事してしまおうというようにも思えた。
実母は私にもっと仕事をセーブするように言う。もちろん定時では帰っているけれど、障がいのある長男を放課後や夜も頻繁に親に預けていることもあって、負担になっていることは分かっている。それだけではなく、何かあるとすぐ「子どもたちは愛情不足なんだ」という。たまに土日に電話が来て、職場であることを告げると「信じられない」というようなため息をつく。弟が土日に仕事に出ていることについては、「大変みたいだね」という言い方をするのに。
夫の親は、昨今からの状況で学校が閉校になった時には「お母さんは仕事に行けているの?」と訊いてきた。共働きなのに、子どもの休校に対応しなければいけないのは、私だと決まっているのか。
職場では女性は窓口の多い課に配属されることが多い。そうでない職場の場合には、たいてい、庶務事務をさせられることになる。庶務事務はかなり単純作業が多く、結果として、様々な経験をする機会を逸してしまう。また、係長になった時に、かなり格上の上司から「お子さん3人も育てているのに、課長には無理させないようにと言っておくよ」と言われた。WLBに配慮してくれる職場はありがたいが、同じことを男性職員にもいうだろうか。
比較的若い世代の職員が、「女性を採用したがらない企業があるのは仕方のないことだ。女性は教育しても産休育休があるし、場合によっては退職してしまうことがあるから、結果的にコストが高くなる」と言っていた。

読んだら、絶対につらい気持ちになるだろうな、とは思ったけれど、手元に読むべき本がなくなり、だいぶ長いこと借りてしまった反省もあり、手に取ることにした。ちょっと厚めで文字が小さい本だったから、GWの間だったらそれほど間を開けずに読み切ることができるのではないかなと思った。
著者は新聞記者の夢を諦め、フリーのライターとして働く。一方夫は起業してやはり在宅で仕事をしている。妻は午前中、夫は午後育児を担うことになるが、午前中育児をしながら家事をこなし、夜に残った家事も自分がすることになる。そんな状況の中、もやもやした気持ちをどうにかしようと夫に働きかけたりするもうまくいかず、母校でフェミニズムの講義を聴講することを決意。それまでの敬意と、講義の内容、課題図書の紹介、他の学生たちの反応などを交えながら、フェミニズムについて著者の考えをめぐるものだった。
時々、本を読んでいる間に現実にどんなことが起きているのか書かれていて、つまり例えばいろいろと考えを巡らせて集中している時に、不意に娘のシルヴィアから「ママ、ママ、これを見て」とドアをノックされ、考えていたことがふわっと消えてしまうとか。子育てをしたことのある女性なら誰でも共感すると思う。私が家で仕事をしていると、おやつかタブレットを渡さない限り、すぐに近くに寄ってきて色んな要求をしてくる(一方、なぜだか分からないけれど、夫は在宅で仕事をしていてもほとんど邪魔されることはないらしい)。もちろんこれは演出程度であって、課題図書の紹介や著者が読んで感じたこと、講義のやりとりなどは、深く考えられて書かれている。
いわゆる「ジェンダー」の起源、女性には教育不要とされていた時代での女性への教育の必要性、女性の社会進出、その一方で、セカンドシフトと呼ばれる仕事が終わってからの家での家事。女性の職業となっている家政婦やベビーシッターの権利、また女性の性の扱われ方についても言及している。

ただ一つ言えることは、講義の中での学生の発言を見ても、考え方は様々で、何が正解ということもないのかもしれない。ただ、女性である以上、自分の中で納得できるあり方を見つけ、現実にそれを近づけていく努力をしなければ、いつまでも不満を抱えたままになってしまうのではないか。この本を読みたくないと思っていたのは、まさに、自分の中で眠っているこの状況はおかしい、という考えを呼び覚ますことで、現実とのギャップに目を向けなければいけなくなってしまうからなのだと思う。
この本を読んだからといって、すぐに自分の女性としてのあり方の答えを見つけられるわけではない。でも少しだけ思うのだ。女性であることは、身体も小さく力も弱い。出産に耐えられる強さを持っているものの、やっぱりこの社会においては生きづらく、マイナスからの出発をしなければならいのが現状だ。けれど、女性であるからこそ、疑問を持ち考え続けることで、得られているものがあるのではないか。

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