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駒澤真由美「精神障害を生きる 就労を通して見た当事者の『生の実践』」
片手で持つには少し重いくらいのこの本を読むことになったのは、精神障害者のグループホームでお仕事されている方の投稿を読んで、興味を持ったからです。また、就労支援について考えている身として、これから考えたいのは、特に精神障害者の方たちと一緒に働くことです。さらに踏み込んでいえば、それが標準化されれば、仕事をきっかけに病気になってしまう方が減ったりするのではないか、という希望を持っていたりします。そういう人ができるだけ生じてしまわない職場とはどういうことなのだろう、と考えてみたかったのです。
難しくて読みづらい、とかではないのですが、この本を読み始めたのは9月頃、少しずつ、というか、紹介された人のエピソードを一つ読み終えるごとに他の本を読んだりしていました。
当たり前のことですが、精神障害ですから、その人のエピソードには、辛い感情がたくさん滲み出ています。取材の時に、どんな風に話したのか、言葉を正確に、さらには、沈黙したこととか、咳払いしたことなども再現しています。その言葉に詰まった様子などに苦しみが感じられました。
なので、さあ、次の人はどんな人生を歩んできたんだろう、という感じにはなれなかったのです。
他の本と行き来しながら、ようやく14人のエピソードと巻末の総括を読み終えました。
当たり前ですが、同じように精神障害を持つ方々という言葉で分類されるとしても、その一人ひとりの状況は本当に千差万別で、またその周りにいる人たちや関わり方も様々でした。この人がこんな風に関わっていたら違ったのではないか、と思ったりすることもある一方で、ある方の関わりで少しずつ希望を見出していった方もいたりします。
私は精神障害に関してプロではありませんし、すごく感覚的な言葉になってしまうのですが、悪意があってその人が落ち込むような方向に関わる人は別として、ほとんどの人が、精神障害とは何かを知らないために、あるいは、その人自身の特質(障害という範疇にはならない程度ではあっても)のために、精神障害を持つ方のためにならないような関わり方をしてしまうのではないか、と思います。
だとしたら、できることとしたら、まずは精神障害とは何かを知ること、多くの人が知ることだと思います。私も自分自身の悩みや他の人との関わりにおいて、精神疾患に対する関心はあったけれど、きちんと学んできたというわけではなかったので、ちゃんと勉強してみたいな、と思いました。
ここに紹介されている方々は、皆、精神疾患を抱えた後、どう就労に向けて動いていくか、ということを軸に、インタビューを受けています。一般就労した方もいれば、福祉的就労といわれる就労継続支援A型・B型、また、その中間に位置するような、社会的就労といわれる社会的事業所に勤める方もいました。
疾患からの回復は、必ずしも就労が必須ではないという前提がありつつも、やはり、仕事をしよう、という気持ちが湧いてくる感じはとても前向きに感じられました。でもなかなかうまくいかないこともあり、辛いこともあります。
本の中で、著者は、誰もが「良く生きていくことができる」社会を目指して、「協同労働」という働き方を挙げています。
その一つの答えになるかもしれないのが、協同労働という働き方である。協同労働とは、企業に雇われるのではなく、働く人たちが出資し、一人一票の議決権を持ち、対等な立場で話し合って、やりたい仕事や地域から必要とされる仕事に力を合わせて取り組んでいくというものである。ネオリベラリズム思想が蔓延る資本主義経済から「共に生き、共に働く社会・経済」への転換に向けた新しい働き方として注目されている。
加えて、スティグマを伴う障害年金や生活保護に変わる所得補償の改革についても、提言している。
誰しも「精神障害者」になりたくてなったのではない。現代のこの新自由主義的資本主義社会では誰もがなにがしかの生きづらさを抱えた当事者である。過重労働問題が深刻化する一方で、中高年のリストラや若者の就職難も広がっていった。ニートや非正規労働者は就職氷河期に社会によって作り出された犠牲者と言えるだろう。今後は、スティグマを強いない所得補償制度、例えばベーシック・イン買うで基本所得を補償し、一方でワークシェアリングーーー労働を分割・分配して働きたい人たちが働けるようにするといった、これまでとは似て非なる「半就労・半福祉」政策を提案したい。
就労支援をしたいと言っている割に、こういうことを読むと、みんな平等なのか、ともやもやしてきたりもします。一方で、自分自身のことを振り返ってみると、同期の男性より昇進が何年遅れているだろうか、育休取得分を勘案すれば超えていないだろうか、と計算してみたり、自分が出した成果をきちんと評価してもらえているだろうかと思い悩んだりするわけです。つまり、評価されたくて、頑張っているところがないわけではないのです。こう思い悩むならいっそのこと、今とは違う社会の方がよいのだろうか、などと考えたりします。
インタビューの中で、著者の提案する協同事業にあたる社会的事業所のことも書かれています。障がいのある方以外はどんな人が勤めているのだろうと思いましたが、仕事に差があることは間違いないけれど、「納得していない人もいますけど、納得している人もいる」という状態だといいます。社会的事業所の場合、給与に公費が投入されていることもあるため、このような状態になっているのかもしれません。
巻末には、補論として、「精神障害者の就労支援をめぐる法制度の変遷と実践の歴史」とあり、が分かりやすくまとめられていて、その部分もとても参考になります。
色んな意味で、簡単に読み終えられる本ではありませんでしたが、読んでよかったと思います。このタイトルの、精神障害を生きる、という言葉が、働くことを通じて、ありのままの自分を受け入れながら生きていくという、とても温かい意味に感じられるようになりました。