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五箇公一「これからの時代を生き抜くための生物学入門」

「職場の子の服装について注意した方が良いのだけれど、どうしたらいいのか分からない」
先日、職場の女子数人で集まってランチした時に、そのうちの一人がこんな話を持ち出した。彼女は私よりも少し先輩で既に部下がいる。その気になるところの状況を具体的に聞くと、他の女性も、それは伝えてあげないと、と言った。でも私はそうは思えなかった。
職場で制服が廃止された後、他の人がまだなんとなく制服を着続けたのに対し、私は真っ先に私服を着るようにした。今はコロナで念のためお休みしているけれど、数年前からジェルネイルは欠かせない。要はルールで決められているものは一応避けるけれど、自分がこれは、と思ったことは譲らない。だから私は簡単に「注意しないと」とは思えなかった。
そのちょっと変わった服装をする子が、どんなつもりでそういう服装をしているのかは分からない。でもひょっとしたら、その服装をしていることで、弱い自分を保っているのかもしれない。だからもし自分だったら、仕事に支障が出ていないのなら、何も言わないだろう。ただ、人にどう見られるかを考えて、遜色ない服装をして仕事をしていた方が元気は出なくても結果としてパフォーマンスが高いか、あるいは、先入観でマイナスに見られつつも好きな服装をしていれば自分に自信が持てて最大限に仕事に打ち込めて結果いい仕事ができるのか、そのどちらなのか、ということを考えるということは、機会があったら考えてもらいたいと思う。こういうことを伝えるのはとても難しいことだと思うけれど。そういえば、すごく仕事ができて、接客も丁寧だったけれど、変わった髪形をしていた若手が、見なくなったなと思ったら、実は退職していたということもあった。
五箇氏は黒づくめの服装にいつもサングラス。実はまだテレビで見たことはなかったのだけれど、これは20代の時から実践しているとのこと。洋画好きだからといって「スター・ウォーズ」のダース・ベーダーや「マトリックス」のキアヌ・リーヴスに影響を受けたわけでもない。ただある時自分が黒が似合うと思い、それ以降、黒以外の服は黒に見えなくなったという。メディアに出ると、こういう服装で実は生物学者、となると、インパクトがあって覚えてもらいやすいから、非常にいい効果なのだと思う。でもそれは、きちんと生物学に関して知識も経験もあり、生物学を使って社会をよくしていきたいという強い思いがあるから、ということが大前提になるのだと思う。
タイトルを見て、生物学のこととか、生物多様性のこととかが書かれているのかと思ったら、そんな雰囲気ではなかった。生物そのものについてもたくさん事例が紹介されているけれど、多分伝えたいのは生物に関する知識じゃない。
最初に性のしくみ、について書いている。無性生殖と有性生殖の話に始まり、産む性であるメスとオスとの違い、オスの役割がどのようなものか、ということについて書かれている。無性生殖より有性生殖の方が強いのは、遺伝子の交換により、生き残りの可能性が増えるから。今の状況で強い遺伝子であっても環境が変わった時に生き残れるかどうか分からないから、色んな遺伝子が混ざることは可能性を広げることになるのだ。そこから遺伝の話になり、人間社会を生物学的に見たり、「ハゲは隔世遺伝する」ということは迷信なのか、という話になったりもする。でも多分、一番書きたかったことは、この後のことだと思われる。
遺伝といえば「メンデルの法則」が有名だ。エンドウマメの背が高いものと低いものをかけあわせると、背が高くなり、優性遺伝が起きるというもの。でも、このような考え方から、優生保護法により知的障害や精神障害のほか、ハンセン病が断種対象とされたという。これは1996年まで施行されていたという。著者はこれに対して「優生学を人間社会に当てはめてはいけない」と強く主張している。なぜなら、「人間は自然淘汰に逆らい、助け合うことで生き残った」からだという。人間は生まれてすぐに食べ物が食べられるわけでも動けるわけではなく、野生動物社会では滅びる運命であるくらい弱い種なのが、助け合うことで生き延びられてきたからだ。
今のこのコロナウィルスの蔓延についても、著者は人間社会が試されているという。感染しても症状が出ないまま、人にうつしてしまう可能性がある。だからこそ、「自分が本当はかかっているかもしれない」と意識して、人にうつさないように気を付けることが、全体としての感染予防につながるからだ。これができるかどうかが、人間社会の未来にかかっていると、著者は言っている。
五箇氏の生物学は、生物とは何かというものではなく、生物学的に見るとはどういうことか、ということを教えてくれるものだった。優性なものが残るべきで、そうでないものは、残るべきではない、という単純なことではない。コロナが蔓延したけれど、ワクチンができれば大丈夫ということではない。ただ起きている現象をどう見えるかだけで判断するだけではなくて、例えるなら顕微鏡で見たり、ドローンで上空から見たり、といった様々な見方が必要だということを言いたいのだと思う。そして、その見方を身につけるのに必要なのは、「基礎研究」だとも言っている。
最終的には、どんな人間社会にしたいか、ということがあって、そのためにはどうすればいいか、ということを考えなければいけないのだと思う。コロナがなくなれば安心というわけじゃない、存在する生物の種類がたくさんあればいいというわけじゃない。
そして多分、小さい社会のこととはいえ、変わった服装をする子がいなければいいということでもないと思う。

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