津村記久子「うそコンシェルジュ」
とても疲れていました。つい最近、心を折られるような言葉があって、その時はついついいつものように笑いながら、なんとか頑張るつもりでいたのですが、その後、パソコンを持ち帰って仕事をしていたら、何だか悲しくなってきて、時折、リアルに涙が出てきました。
こんな時に限って、休みを入れにくい状況で、私がいなくても何とかなることは分かっているものの、やっぱり予定していた通りに仕事を進めたい、と考えると、難しいことが分かりました。
翌朝、重い気持ちを抱えながら、パソコンを持って家を出ました。
駐車場から職場までは公園の中を突っ切っていくのですが、ちょうど銀杏の葉が落ち始めていて、道は黄色くなっていました。まだ乾燥していない落ち葉の上を歩きながら、ああ、仕事に行きたくないなあ、と考えました。
けれどふと気がついたのです。
私、めったに仕事に行きたくない、と思うことはないのです。ああこれをやらなきゃ、あれをやらなきゃ、と考えながら、前向きな気持ちなことが多いです。でも、仕事行きたくないって、よくある話で、普通のことなのかも、ということに気づいたのです。
逆に、こんなに気が重いことがめずらしいということは、恵まれているのかもしれないのです。みんなも仕事が嫌だけど頑張っているんだから、私も大丈夫かも、と少し気が軽くなりました。
……すみません、津村記久子さんの本を読みながら、自分の小さな心の動きを拾い上げる大切さ、というのを感じて、自分のことも書いてみたくなりました。
でも津村さんから編み出された言葉は、きらびやかに光るような美しさとは違うのですが、とても丁寧で、きめ細やかです。そして、誰もが、これって私のことかも、と考えてしまいがちな、不思議な魅力があります。
帯にも
きっと「自分に似た人」を見つけることができる11の物語
と書かれていますが、私も何人もの主人公に共感しました。
中でも一番こころに残ったのは、うそコンシェルジュ、続うそコンシェルジュでしょうか。
ふとした日常から始まった試みが、うまくいく度に、少しずつ仲間を増やし、話が大きくなっていく、その様子が、結局は日常という言葉の範疇にありながらも、スリリングでドラマチックで、ドキドキしながら読んでしまいました。
私が一番心ひかれたのは、この言葉です。
うそをつくのはどんな時か。もちろん悪いことをして、それが発覚しないように自分を守るためにつくうそや、誰かを貶めるためにつく怖いうそもあるだろうけれど、相手を傷つけないように、だったりすることもあります。
そういううそは、相手を守るために、そのために偽物の世界を作る感じなんだと思います。その偽物の世界を作ってもらえる人がいる一方で、自分はといえば、現実を見せつけられて、苦しい思いをした。
私も昔あったこととか、思い出してしまいました。
他にも、自分をないがしろにする人に対して、やんわりとNoを言う物語だったり、自分の落ち着く場所を見つけたり、自分の気持ちを丁寧に扱うことの大切さに気付く様子が描かれているものがおおい気がしました。
だから、ちょっとこの落ち込んでいる時に、この本を読むことができて、とてもよかったです。