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野澤和弘「障害者のリアル✖️東大生のリアル」

障害者のリアル×東大生のリアル×私のリアル。

私のことも書いてみたくなりました。

この本は、東大で行われていたゼミ「障害者のリアルに迫る」で講演された障害を待つ当事者などの話と、ゼミ生たちの文章がまとめられています。
当事者の話もすごいですが、その部分は野沢氏がまとめられたものです。それと比較して、ゼミ生たちが、当事者の話を聞いてどんなことを考えたか、自身の経験と絡めてどう感じだかを書き記した部分は生のままで、とても刺激的です。

本に登場する方たちは、それぞれ、こんなテーマで登場していました。

  • ALS

  • ディスクレイシア

  • 医療的ケアの必要な障害児

  • 障害者の就労支援

  • 罪に問われた障害者

  • 精神障害者

  • 障害者の性

ゼミ生たちの文章は、普通に暮らしているけれど、ちょっと周りを否定的に見ていたり、人の気持ちが理解できなかったり、障害のある妹がいたり、自分自身が精神障害を抱えていたり、ゼミを受講してその受けた心のゆらぎが生々しく綴られています。
直接知らない私が読んでも強烈な内容を、他のゼミ生達が読むことを想定しながら、書いたわけです。その、書くことの勇気、さらに言えば書かなければいけないという気持ちになったのは全て、障害のある方たちの話を聞いたからだと思います。

そして、私も、私のリアルを書きたくなりました。

ギリギリなんとなく生きてきましたが、辛い子ども時代でした。母親が私の視力に異常があることにいちはやく気付き、2歳からメガネをかけていました。母はほっそりしていたそうですが、私は違いました。自分とは違う、なんで太ってるんだろうね、と言われました。さらに、2歳違いの弟は、どこにいっても可愛いと言われていて、母にとって自慢の息子でした。
弟は賢く、幼稚園生の時から、母に勉強を教わっていました。「この子は頭がいい」と嬉しそうに言っていました。私に向かって弟のことを褒めていたのか、誰かに共有するために私のいる前でも言っていたのか、覚えていません。
子どもらしく無邪気に「私はどうなの?」と言えれば、母にも私の目の前でいう配慮の無さに気付いてもらえたのかもしれませんが、そんな無邪気さはとうに失っていて、ただその言葉に傷つき、私の目の前で弟だけをほめることに、私のことなんてどうでもいいのだなと、考えました。
しかし、諦めきれず、器量は悪くても、可愛くなくても、せめて勉強ができれば可愛いがってもらえるのだろう、と思いました。

というのは、後付けして考えたことかもしれませんが、小学校2年生の時には、学校がお休みの朝、一人で早く起きて勉強していたそうです。
その姿を見て、まだ成績という実績を出せてなくても嬉しそうに笑っていた母の表情を覚えています。
その冬の学力テストで、算数でクラスでただ一人、100点を取ることができました。
その頃には既に勉強そのものが楽しくなっていたような気がします。
さらに勉強を続け、母は私の中学受験を考えるようになりました。お金がなかったので、母が昼間のうちに勉強し、毎晩夕食後に私に教えてくれました。できないと怒られたりして、楽しかったわけではないですが、母が私に期待していることは、安心感を得られるものでした。
同時に母には関係なく、いい成績を取れることは自己肯定感を上げてくれるものでした。
けれど、成績が悪いとひどく怒られるようになりました。

記憶の中の母はいつも怒っています。憎しみでいっぱいの目で私を凝視しているその表情が今でもすぐに浮かびます。私はその後ろにある蛍光灯の光を見つめ、真面目に聞いているふりをしつつ、早くこの時間が過ぎてくれればいいのにと思っていました。
叩かれて、部屋の隅に逃げ込んでもまだ叩かれたことも少なくありません。あまりの痛さに声を上げると、近所に聞こえると言って。
叩かれた話などはあまりしませんでしたが、怒られた話は、うちの母は変わっていると言って、よくネタにしたりしていました。
私も失敗ばかりしてるし、怒られるのは仕方がなくて、

自分自身が子育てするようになって、なぜあんなことができたのだろう、と怖くなりました。子を持って親のありがたみが分かる、そんなの私にとってはあり得ないこと、むしろ恐怖しか覚えませんでした。

長男がダウン症だったから、子どもなんて自分の望み通りになんかならない、と母になった初日に思わされました。そして、徐々に知的障害が一般的なダウン症児よりもさらに重度であることが分かり、ダウン症でも大学に行った人がいる、とか知って抱いた淡い夢も、すぐに諦めざるを得なくなりました。
同時に、とても大切なことに目を向けることができました。彼の人生は彼のものです。私がどうこうして良いものではありません。
だからこそ、子どもを叩いてコントロールすることなど、意味のないことだと分かりました。

母はなぜあんなに私のことを叩いたのだろうか、と思いました。そして、ああ、私のことが嫌いだったのだろうな、と理解しました。思うように動けば可愛いこともあるけど、思い通りにならないから、醜い出来の悪い子でしかなかったのだろうと。

同時に、子ども達が私に向けてくれる愛情を受け取るたびに、私は母に対して、こんなに素直に自分を愛して欲しいという気持ちを向けていただろうか、と考えました。
もし、素直に出せていたら、違ったのかな、とも思いました。でも私はかなり小さい時に、そんなことをしたくないと思ってしまいました。というか、素直に出して傷つくくらいなら、出さない方がいいと学んだのかもしれません。

母との関係は、友達、職場その他、様々な人間関係に影響を及ぼしてきたと思います。母とは違い、少し冷静に考えられる分、悩むことはそれほど深くはありませんでしたが、何かあると、ああ、この人は私のことが嫌いなんだ、と感じました。もちろん頭では、好きか嫌いか、というほど、深く考えるほど私には興味ない、普通の友達だったり、同僚だったりだよね、と理解していましたが、心にはバリアが必要になりました。
ちょっとした一言があっただけで、この人とは、傷つくだろうから、距離を置こう、と心に決めました。
もしかしたら、私も誰かをそんな風に傷つけたりしたこともあったのかもしれませんが。

数年前から、本を読んだりしているだけでは無理、もう自分の力でもどうにもならないと思って、カウンセリングを受けたりしてみました。半信半疑ながらも、色んなことを言われた通りにやってみました。
まずは自分を大事にしないと、と、思いました。というか、カウンセリングにお金を払うことも自分を大切にすることの一つだと思います。
自分に心の中で、優しい言葉をかけてあげるようにしました。
暗い考えに囚われ始めると、ああ、私、疲れているんだね、と気付くようになりました。

こんな風に自分で自分の感情をこまめに気付いていくことで、少しずつ、ニュートラルにものを見ることに慣れてきていたのかもしれません。
この前ふと、母は私のことを嫌いで怒っていたわけではない、どうしてよいか分からなかったのだ、ということに急に気づいたのです。
もちろん、前提として、自分の思うような子に育てたいというエゴがあったとは思います。でも、どうしてよいか分からなかったから感情的になっていただけで、嫌いだったからではない、と分かりました。
そのことをずっと考えていたわけではありません。ただ突如として、その考えが降りてきたのです。
というか、実は本当のことは分からない、けれども、嫌いだったからではないと、そう思えば良いのだ、ということが理解できました。

実はかなり前から、母は生きづらさを持つ人だろうなと思っていました。ネタにしていたころから、分かっていたかもしれません。私も遺伝なのか社会的になのか、引き継いでいると思います。
けれど、なんとなく、自分自身の感情をどう扱っていけばいいのか、分かってきた気がします。
もちろん、またどうしようもない思いに囚われることもあるかもしれませんが、「前にもこんなことがあったけど立ち直れたからまた大丈夫」と思えそうな気がします。

私は5年くらい前から、「誰もが楽しく暮らせる社会」というのを、個人的なテーマとして考えてきました。誰もが、というのは、一応そんな風に書いていますが、本当は、お母さんが楽しく暮らせる社会、というのをイメージしています。
だって、お母さんが楽しく暮らせていれば、子どもも楽しいだろうし、お父さんもお母さんや子どもたちに楽しんでもらえていると思って嬉しくなるのではないかな。そんな風に考えたからです。
もし、母が楽しそうだったら、私ももっと楽しく暮らせていただろうな、と思うのです。怖かったけれど、母は本当に私にいろんなことをしてくれました。料理が嫌いだと思わないくらい、おいしいごはんを作ってくれたし。私が忘れ物をしないようにいろいろ気を付けてくれたし。
でも、楽しそうじゃなかった。
そして、障害のある子がいても、楽しく過ごしたいな、と思っています。弟や妹が、障害のあるお兄ちゃんがいると大変だけど、いないと変な感じ、と言ってくれるのがちょっと嬉しかったりします。本人たちがお兄ちゃんとのつながりを楽しんでくれていることもあると思いますが、私や夫が、障害のある子どもの生活を(かなり大変な時もあるけれど)楽しめているからではないかな、と想像しています。

エピローグの中で、野沢氏が、一緒にゼミを運営した生徒に「新しい福祉を起業しよう」と声をかけます。「三年待ってください」と返されますが、会社に入って仕事をして、慣れてきたら、頼りにされるようになり、居心地がよくなって、冒険ができない人生になる、ということを書いています。

福祉でなくてもいいのだ。世界はこの先、想像もできないくらいに変わる。既存の価値観が破棄され、まったく新しい価値に世界が塗り替えられる日がやってくる。障がい者のリアルに触発され、自らの内なる既成概念をゆすぶられている彼らが、就職とともに既成の「安定」という磁場に引きずり込まれていくのが、私にはもどかしかったのだ。

本書エピローグ 彼らのリアルを探そう

私は今のところ、「安定」という磁場に引きずり込まれていないのではないか、と自負していたりします。
少なくとも、この本の持つエネルギーに気づけるくらいには。


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