金子哲雄「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」
今、自分が、いつ死んでもおかしくない、と言われたとしたら、何を思うだろう。ふんわりと、考えたことがないわけではない。多分、その日まで、今と同じ毎日をできるだけ過ごしたいと思うだろう。できればぎりぎりまでそうしたい。やりたいな、と思いつつ、やらなかったことがあったら、その一つ一つをできるだけやってみたいと思うのか。でもそんなのは単なる空想に過ぎない。最後まで生きたいように生きること、自分の死に際を希望通りにすることは、仮にもうすぐ死ぬと分かっていたとしても、とても難しいことだ。
この本は、流通ジャーナリストの金子氏が死ぬまでの最後の1ケ月で書いた本。書かれていることは、子どもの頃からの回想に始まり、流通ジャーナリストという新しい仕事を自分自身の手で生み出していくことなどが書かれている。自分が一番好きなことを仕事にしたのだという。高校の時に「好きなことで勝負しないと勝てないんだな」と思ってから、ずっとその先を見据え、1年だけサラリーマンを経験し、きっぱりと会社を辞めた。今の時代、会社に勤めずに自由な働き方を選ぶという形もなんとなく理解できるけれど、これが今から20年以上前の話だと思うと、驚いてしまう。
サラリーマン時代に関わった人から、急に講演者が都合が悪くなったと代理を頼まれたことがきっかけで講演で生計を立てていくことになった。もちろん最初から想定していたわけではないけれど、一つ一つの目の前の相手に向き合い、きちんと取り組んでいたからこそ、そしてチャンスを掴み、それを最大に活かすことができたのだと思った。
週刊誌の仕事を得たら、自分の名前の載った記事のところに付箋を貼り、テレビ局の喫煙室に置いた。というのは、喫煙室にいるときは手持無沙汰だろうから、週刊誌を見るだろう、そして付箋がついていたとしたら、誰かが面白いと思ってつけたのだろう、と考えてそこを開くだろう、と考えたのだという。見事、読みがあたり、そこから、テレビ出演の話も来るようになった。
そんな風に色んなことに目を向けて考えられるのに、自分の体の不調に気付くのは遅かった。おかしな咳が出るようになり、奥さんからも指摘されつつもそのままにしていた。そして、いよいよ体調がおかしいと分かった時には、「いつ死んでもおかしくない」という状況になっていた。
後半は病気を宣告されてからの話になる。肺カロチノイド、という10万人に1人しか発症しない珍しい病気で、症状はがんと同じ、でもがん治療のいずれも効かない難しいものだった。その中でも金子氏が罹患したものは非常に珍しいもので、数千万人に一人という発症率のものだったという。
いつ死んでもおかしくない、と言われながら、それでも約500日間生きたという。そこからもごく身近な人以外には病気のことを隠し、求められた仕事にはできるだけ応え、加えて自分の死ぬまでにやるべきことを見つけて、一つ一つ真剣に取り組んでいた。
こうやって要約してしまうと、単純な言葉になってしまうけれど、こうやって最後まで自分の生き方を貫くことがどんなに大変なことか、というのが伝わってくる。最後のその日まで同じように過ごしたい、なんていうのはとても簡単なことではないのだ、ということがよく分かる。
この本は、美容院を会場にして友人が開いてくれたミニ読書会で、参加者の一人が、紹介してくれたもの。「2022年上半期最も好きな本の紹介」がテーマで、その本を美容院に寄付しようというルールだった。2022年上半期どころか、数年前に読んで衝撃を受けて以来、何度も何度も、ぼろぼろになるくらい読み直しているということだった。
すごく気になったのに、なかなか読む機会がなかったのだけれど、その美容院に出かけたところ、寄付用に改めて本を買ってきてくれたとのことで、雑誌と一緒に置いておいてくれた。美容院にいる間に読み終わらなかったので、そのままお借りしてきて、その日のうちに一気に読んだ。
最後の方には、奥さんや周りの人たちの言葉も書かれていて、金子氏のエンディングノートの輪郭のようになっている。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?