ちきりん・梅原大吾「悩みどころと逃げどころ」
とにかく読んでください。以上。
そう言いたくなるのは、お二人の対談がすごく分かりやすく、個と個のコミュニケーションで、こんな風に思考が俯瞰的になるんだ、ということだけではない。巻末に収められている「この本ができるまで~あとがきに代えて~」の中の二人のこの対談についての解釈がとても興味深く、またこの本の魅力を言い表しているような気がしたからだ。
社会派ブロガーのちきりんさんの名前は何回か友人などから聞いたことがあったけれど、書いたものを読むのは今回が初めてだった。一方の梅原大吾氏は、日本人初のプロゲーマー。正直全く知らなかったけれど、とにかくすごい人らしい。子どもの頃にファミコンも持たない家庭で育ち、学校で真面目に過ごしてきた私は、どちらかといえばちきりんに近い側にいるのだけれど、一方で、好きなことを見つけて突き抜ける生き方にも憧れていたりもする。
対談のテーマは学校教育。学校教育で身につけたものが、その先に、社会に出てから、人生を終える時まで、どんな風に影響を与えていくか、ということについて、考え方を披露し合っている。先生に対して100%の信頼を持っていたわけではないけれど、まあ言うことを聞いていた方が得かな、とか、この程度の自由は許されるかな、みたいな感じで過ごしてきた。対談の中でも語られるけれど、学校は特別な社会で、みんな仲良く、弱いものには優しく、というルールだけれど、実際は、いじめもあるし、テストという勉強の理解度を図るものさしはあって、なんとなくそれが評価につながっているのに、一方で、成績が良くても表彰はされない。スポーツや絵画だと表彰されるけれど。何だか矛盾に満ちた世界だ。
学校の勉強はそんなには役に立たない。もちろん読み書きそろばんは必須だけれど、教養は周囲の人に与える印象を変える程度。資料の見栄えがよくて、論理的に正しいことが言える方が強い。資料の見栄えは良しとして、学校で、論理的に正しいことを言って相手をねじ伏せることなんて許されない。そもそも、自分の意見を言う、というのは求められた時にのみ、というルールになっている。「分かる人はいますか?」、「質問はありますか?」と言われて初めて手を挙げることが許される。現実の社会に出てみると、全く違う。特に昭和世代の力が強い組織においては、強気に出て相手を言い負かすことができる人が能力があるとみなされる。学校の中のルールにどっぷりと従ってきた人が多くいるほど、そういう人の力は発揮されるので、何だかおかしな状況になっている気がする。
これこそ対談の醍醐味なのかもしれないけれど、正反対の立場にいる二人の考え方が時々一致するのが面白い。それぞれの分野で成功している人、ということが一番大きいのかもしれないけれど、それだけではない。梅原氏が何度か口にしているのが、「自分で決めたかどうか」ということ。梅原氏は17歳で世界大会に優勝した後、自分で他の世界に飛び込んでみて、その結果やはりゲームの世界を選ぶことを選んだ。ちきりんさんも、証券会社に勤め、アメリカ留学、外資系企業勤務という、「いい学校からいい会社」という学校エリートの船を降りて、文筆活動に専念する。どちらも自ら選んだ道を歩んでいる。
この本を読む人は、ほとんど学校教育を既に終えた人だと思うけれど、その時に得たことをどう解釈するか、そしてその上で、自分の人生をこれからどう生きていくか、について自分で考えることで、人生の最後に「いい人生だった」と言えるかもしれない。そんな気分にさせてくれる。
それよりなにより、初対面のお二人だけどすごく気さくで、「あの、すみません、私もちょっといいですか?」と言ってみたくなってしまう。そんな雰囲気も素晴らしい。
だからとにかくこの本を読んで欲しい。